神と人に関する駄文
2015年11月29日 神と人について書いたもの以前、神について書いた事を左下の「テーマ別日記一覧」に分類しました。
テーマは「神と人について書いたもの」
2012年?w 笑っちゃいますね。
さて、今日は久しぶりに馬鹿な事を書きます。ついてこれない人は
http://32226.diarynote.jp/201203300113123575/
http://32226.diarynote.jp/201305312024185533/
読んでくだしゃい。
今日、書く事は人とは何か?です。ヒトラーはかつて
「人間とは、生成途上の神である。」と言いましたが、これは実は彼のオリジナルの考えではありません。13世紀のカタリ派と呼ばれる、カソリックから異端視された教義の中から産み出された考えです。
簡単に解説すると、人間は生まれながらに汚れている。だから肉と欲を絶って浄化されれば死後、神となる、という何やら仏教チックな考えの教えでした。
ヒトラーの生活は、まさにそれを実践していましたから、あながち噂話とも思えませんが、それはさておき。
風神としては、人間とは神の進化を支える道具である と考えています。残念ながら、人間は神の途上かどうかはともかく、そこまでの域にも達していないと考えています。
それでは進化とは何か?これは突然変異 です。正しくは、神の設計図に基づいた予定変異と言うべきでしょうか。
何故、こんな事を言うか判りますか?従来の進化論では進化は突然変異という偶然によって引き起こされ、環境に適用できない種が淘汰されていく、というのが定説でした。つまり偶然の積み重ねが進化を促していると考えられていたのです。
ところがですね、スーパーコンピューターにアミノ酸の分岐配列をぶち込んで演算させると、30億年以上かかっても、目を構成している透明なレンズひとつ作り出す事ができない、という結果が近年出てしまったんですよね。
判りますか?つまり偶然に頼った突然変異では正常な進化を促す事などできないのですよ。
それを最も端的に現わしているのがクジラやイルカの存在です。
あれらは、一度陸地に上がって足を獲得したものが、又海に戻ってるんですよね。そんな事、偶然でできると思いますか?
2本脚がくっついて平べったくなってヒレになるというのは、想像以上に困難な進化の結果なのです。つまり、最初から設計図ありきでないと、100億年かかっても偶然では作り出すことができないんですよね。
恐らく、生物としてうまれた命令があるんです。例えば、地球上の環境すべてに広がれ、みたいな。
まず最初に、大まかな設計図がつくられ、まあ具体的に言うと、目が二つ・鼻が一つ・口が一つ、という事ですね。カンブリア紀以前は、それすら無かったようですが。そして、更に詳しい設計図に基づき試作品が作られ、さらにその末端の改良が、より良い形で行われていく、というのが、今行われている進化の流れなんですよ。それも恐らく意図的に。
僕はね。イルカやクジラが不必要に擁護される今の世の中にすら、神の意志があると思ってます。あれらには、神の意志が宿ってるんですよ、僕には判ります、アレらの役割が。
彼らは哺乳類の遺伝子貯蔵庫 なんです。つまり、海中は地上と違って放射線の影響や災害から逃れやすい。だから、もしもこの先、地上を壊滅的な災害が襲って、生物が激減した時がきたら、
又、足が生えて陸地に戻ると思いますよw
脱線しました。人間の事に話を戻します。私は先程、人間とは神の進化を支える道具である と言いましたよね。それはつまり、神の道具として進化を早めている、という事なんですよ。
そもそも、今さっき言った進化の流れって、人間が行っている製品開発と変わらないですよ?大まかな設計図から試作品の製作・そして改良と、まあ人間が神のやり方を模倣していると言うべきでしょうが。
つまりね、人間は最初から、道具を使う事を前提に産み出された生き物 だっていう事です。しかも、それは進化の過程から見れば、ちとイレギュラーに近い。それはね、進化と退化のハイブリッド なんです。退化が進化を産み出して、また退化するという規格外品。それが人間なんですよ。
人間には体毛がありませんよね。でも猿にはある。これは進化ですか?明らかな退化ですよ。何故なら、人間は獣を殺して毛皮を獲るでしょう。必要だからです。必要なのに失くしちゃったんですね。
両手が空いてて考える頭があって毛皮を盗られたら作る以外にないんです。
最初から、道具ありきなんですよ。しかも、規格外の脳容量があって、そして一番大切な事は、複雑な言語を扱える喉を持っているって事です。
例えば、50万年前の子供を連れてきて、今の教育をほどこせば、普通の子供に育ちます。教えれば車の運転もできるし、パソコンも扱えるようになります。変わってないんですよね。逆を言えば、当時にしたら不必要なオーバースペックって事です。
異常なんですよ。例えば、産まれたての赤ちゃんは、首を支えないと折れちゃいます。頭が異様に発達しているからです。けど、これは種の保存としては諸刃の剣。何故なら、頭があまりにでかくて産まれる時に女性の骨盤に引っかかり難産の元になるからです。現代と違って、何十万年前の話ですよ?
しかも、5~6歳まで親の庇護がないと生きていけません。
ちなみに脳容量だけなら、人間より先にユーラシアに広がっていたネアンデルタール人もほとんど変わりません。むしろ彼らのほうが種的には人間より優れていました。最新の研究では、彼らのほうが人類より脳容量が大きく、しかも成長に要する期間も人類より短く、さらに体格も人類よりよかったとされています。
唯一、劣っていたことと言えば、複雑な言語を操ることができなかったとも。
北欧の神々の巨人というのは、案外彼らのことかもしれません。その巨人たちを降し、自らのDNAに組み込んで支配してきたのが人類と言う訳です。
彼らは人類よりも優れた部分があったにもかかわらず、負けたのです。複雑な言語を駆使できないばかりに、知識を子孫に伝える術を持たなかったのかもしれません。人類のDNAにネアンデルタール人のDNAが混ざっている事は割と有名な話です。
ここでも、試作品を経て細かいバージョンアップが加えられている事が判ります。
ところで、じゃあその進化を司る神とはなんでしょうか?
神、という言葉はいけないかもしれません。以前私は書いた日記の中で述べました。
「最初の日本語訳がおかしかった。」
恐らく、既存の神という言葉を日本語に当てはめるべきではなかった。
ヤハウェ=唯一神=人間の力ではどうしようもない運命あるいは天(宇宙)
今全世界で信仰されている神は ↑ これなんです。
まあ、もっと単純に言うと「名状しがたき意思」とでも言いましょうか。
ただ、ここから先は、実はまだ私の考えが完全にまとまっていません。
今現在、人類は明らかに地球由来の生物なんです。
NASAが出している論文によると、人間は地球を離れると10倍の速度で老化する
そうですよ。それは具体的には、地球の重力化を離れると骨の中から急速にカルシウムが失われ、筋力が衰えてしまうという事です。実際、過去に無重力化で生殖行為が行えるか?というロマンあふれる実験が行われたそうですが、精子が正確に卵子にたどり着けなくなる、という結果が出ています。
ちなみに、宇宙に長期間滞在して地球に帰ってきた宇宙飛行士が、抱きかかえられて車いすに乗せられる画像を見た方も多いでしょう。
つまり、今現在、もしも人間を司る意思があるとすれば、それがどんな形にしろ、地球以外に有り得ない、というのが私の現時点での結論です。
あくまで現時点ですが。
何か、最後はガイア理論みたいになってしまいましたが、今回はここまでとしておきます。また、この命題に近い事が書けるとよいのですが、どうかな。
それでは、今夜はこのへんで。
テーマは「神と人について書いたもの」
2012年?w 笑っちゃいますね。
さて、今日は久しぶりに馬鹿な事を書きます。ついてこれない人は
http://32226.diarynote.jp/201203300113123575/
http://32226.diarynote.jp/201305312024185533/
読んでくだしゃい。
今日、書く事は人とは何か?です。ヒトラーはかつて
「人間とは、生成途上の神である。」と言いましたが、これは実は彼のオリジナルの考えではありません。13世紀のカタリ派と呼ばれる、カソリックから異端視された教義の中から産み出された考えです。
簡単に解説すると、人間は生まれながらに汚れている。だから肉と欲を絶って浄化されれば死後、神となる、という何やら仏教チックな考えの教えでした。
ヒトラーの生活は、まさにそれを実践していましたから、あながち噂話とも思えませんが、それはさておき。
風神としては、人間とは神の進化を支える道具である と考えています。残念ながら、人間は神の途上かどうかはともかく、そこまでの域にも達していないと考えています。
それでは進化とは何か?これは突然変異 です。正しくは、神の設計図に基づいた予定変異と言うべきでしょうか。
何故、こんな事を言うか判りますか?従来の進化論では進化は突然変異という偶然によって引き起こされ、環境に適用できない種が淘汰されていく、というのが定説でした。つまり偶然の積み重ねが進化を促していると考えられていたのです。
ところがですね、スーパーコンピューターにアミノ酸の分岐配列をぶち込んで演算させると、30億年以上かかっても、目を構成している透明なレンズひとつ作り出す事ができない、という結果が近年出てしまったんですよね。
判りますか?つまり偶然に頼った突然変異では正常な進化を促す事などできないのですよ。
それを最も端的に現わしているのがクジラやイルカの存在です。
あれらは、一度陸地に上がって足を獲得したものが、又海に戻ってるんですよね。そんな事、偶然でできると思いますか?
2本脚がくっついて平べったくなってヒレになるというのは、想像以上に困難な進化の結果なのです。つまり、最初から設計図ありきでないと、100億年かかっても偶然では作り出すことができないんですよね。
恐らく、生物としてうまれた命令があるんです。例えば、地球上の環境すべてに広がれ、みたいな。
まず最初に、大まかな設計図がつくられ、まあ具体的に言うと、目が二つ・鼻が一つ・口が一つ、という事ですね。カンブリア紀以前は、それすら無かったようですが。そして、更に詳しい設計図に基づき試作品が作られ、さらにその末端の改良が、より良い形で行われていく、というのが、今行われている進化の流れなんですよ。それも恐らく意図的に。
僕はね。イルカやクジラが不必要に擁護される今の世の中にすら、神の意志があると思ってます。あれらには、神の意志が宿ってるんですよ、僕には判ります、アレらの役割が。
彼らは哺乳類の遺伝子貯蔵庫 なんです。つまり、海中は地上と違って放射線の影響や災害から逃れやすい。だから、もしもこの先、地上を壊滅的な災害が襲って、生物が激減した時がきたら、
又、足が生えて陸地に戻ると思いますよw
脱線しました。人間の事に話を戻します。私は先程、人間とは神の進化を支える道具である と言いましたよね。それはつまり、神の道具として進化を早めている、という事なんですよ。
そもそも、今さっき言った進化の流れって、人間が行っている製品開発と変わらないですよ?大まかな設計図から試作品の製作・そして改良と、まあ人間が神のやり方を模倣していると言うべきでしょうが。
つまりね、人間は最初から、道具を使う事を前提に産み出された生き物 だっていう事です。しかも、それは進化の過程から見れば、ちとイレギュラーに近い。それはね、進化と退化のハイブリッド なんです。退化が進化を産み出して、また退化するという規格外品。それが人間なんですよ。
人間には体毛がありませんよね。でも猿にはある。これは進化ですか?明らかな退化ですよ。何故なら、人間は獣を殺して毛皮を獲るでしょう。必要だからです。必要なのに失くしちゃったんですね。
両手が空いてて考える頭があって毛皮を盗られたら作る以外にないんです。
最初から、道具ありきなんですよ。しかも、規格外の脳容量があって、そして一番大切な事は、複雑な言語を扱える喉を持っているって事です。
例えば、50万年前の子供を連れてきて、今の教育をほどこせば、普通の子供に育ちます。教えれば車の運転もできるし、パソコンも扱えるようになります。変わってないんですよね。逆を言えば、当時にしたら不必要なオーバースペックって事です。
異常なんですよ。例えば、産まれたての赤ちゃんは、首を支えないと折れちゃいます。頭が異様に発達しているからです。けど、これは種の保存としては諸刃の剣。何故なら、頭があまりにでかくて産まれる時に女性の骨盤に引っかかり難産の元になるからです。現代と違って、何十万年前の話ですよ?
しかも、5~6歳まで親の庇護がないと生きていけません。
ちなみに脳容量だけなら、人間より先にユーラシアに広がっていたネアンデルタール人もほとんど変わりません。むしろ彼らのほうが種的には人間より優れていました。最新の研究では、彼らのほうが人類より脳容量が大きく、しかも成長に要する期間も人類より短く、さらに体格も人類よりよかったとされています。
唯一、劣っていたことと言えば、複雑な言語を操ることができなかったとも。
北欧の神々の巨人というのは、案外彼らのことかもしれません。その巨人たちを降し、自らのDNAに組み込んで支配してきたのが人類と言う訳です。
彼らは人類よりも優れた部分があったにもかかわらず、負けたのです。複雑な言語を駆使できないばかりに、知識を子孫に伝える術を持たなかったのかもしれません。人類のDNAにネアンデルタール人のDNAが混ざっている事は割と有名な話です。
ここでも、試作品を経て細かいバージョンアップが加えられている事が判ります。
ところで、じゃあその進化を司る神とはなんでしょうか?
神、という言葉はいけないかもしれません。以前私は書いた日記の中で述べました。
「最初の日本語訳がおかしかった。」
恐らく、既存の神という言葉を日本語に当てはめるべきではなかった。
ヤハウェ=唯一神=人間の力ではどうしようもない運命あるいは天(宇宙)
今全世界で信仰されている神は ↑ これなんです。
まあ、もっと単純に言うと「名状しがたき意思」とでも言いましょうか。
ただ、ここから先は、実はまだ私の考えが完全にまとまっていません。
今現在、人類は明らかに地球由来の生物なんです。
NASAが出している論文によると、人間は地球を離れると10倍の速度で老化する
そうですよ。それは具体的には、地球の重力化を離れると骨の中から急速にカルシウムが失われ、筋力が衰えてしまうという事です。実際、過去に無重力化で生殖行為が行えるか?というロマンあふれる実験が行われたそうですが、精子が正確に卵子にたどり着けなくなる、という結果が出ています。
ちなみに、宇宙に長期間滞在して地球に帰ってきた宇宙飛行士が、抱きかかえられて車いすに乗せられる画像を見た方も多いでしょう。
つまり、今現在、もしも人間を司る意思があるとすれば、それがどんな形にしろ、地球以外に有り得ない、というのが私の現時点での結論です。
あくまで現時点ですが。
何か、最後はガイア理論みたいになってしまいましたが、今回はここまでとしておきます。また、この命題に近い事が書けるとよいのですが、どうかな。
それでは、今夜はこのへんで。
初めて話すこと3
2013年5月31日 神と人について書いたもの コメント (2)今日はたまたま、外注先の見学に行きまして早く家に帰れたもんですから時間がある。
だから書く事にします。
以前、私は神について書きました。
http://32226.diarynote.jp/201203300113123575/
実はこの時、後半を凄い勢いではしょったので何だか尻切れトンボになってしまい、機会があれば書き足そうと思っていました。
それでですね。
前回、私は言いました。神は人間の中に痕跡を残しているかもしれない。
何故なら、始まりは同じだからと。
きっかけはHAYABUSAの帰還であり、ヒッグス粒子の発見であったといいました。
ところで、私は神についてこうも言いました。
「人間のモラルや性善性悪に縛られる筈がないと漠然と思っていたからです。もっとどろどろとした、むしろ人間には理解できない何かであってしかるべきだと言う風に感じていたからです。」
それで気付いたことがあります。
日本人は神の概念を間違えている。あるいは取り違えている。
例えば日本人は神道で八百万の神々をうやまうから、唯一神というものに、胡散臭さを感じます。僕自身もそうだった。
ところが、どうも違うんです。
何が違うかというと、西洋やイスラムの神と日本人が考える神の概念がすれ違っているんですね。
何故こんな事が起こるかというと、恐らく、最初に神と訳した日本語訳が間違いだった、だから日本人は神(西洋あるいはイスラムの)を勘違いしている。
名前をつけると理解した気になるが、実は全然違うものだったという事なんです。
日本人にとってわりと神様はなじみが深く、願い事をかなえてくれるものじゃないですか。
けれど、いわゆるヤハウェと呼ばれるユダヤ教・イスラム教・キリスト教の共通の神はその常識から大きく外れてるんですね。
ただし、あくまで日本人の神の常識からです。
例えばユダヤ人は戦に負けて奴隷として連れ去られて一族離散して迫害を受けました。
それでも神を信じてるんです。おかしいでしょ?
あるいは欧米ではこんなジョークがあります。
「悪魔が殺した人数は数え切れるが、神が殺した人間は無数だ」
どうです?
少なくとも日本人が信じる神の概念と明らかにかけ離れています。
つまり、最初の日本語訳がおかしかった。
恐らく、既存の神という言葉を当てはめるべきではなかった。
ヤハウェ=唯一神=人間の力ではどうしようもない運命あるいは天(宇宙)
今全世界で信仰されている神は ↑ これなんです。
イスラムやユダヤ教では偶像崇拝を許さないじゃないですか。あれはだから、ある意味、正しいんです。
擬人化するとどうしても、頼ってしまう。けれど、本当のヤハウェはどうしようもないやつなんだと。
間違ってはいけないと、言うことなんですね。
続くかも
だから書く事にします。
以前、私は神について書きました。
http://32226.diarynote.jp/201203300113123575/
実はこの時、後半を凄い勢いではしょったので何だか尻切れトンボになってしまい、機会があれば書き足そうと思っていました。
それでですね。
前回、私は言いました。神は人間の中に痕跡を残しているかもしれない。
何故なら、始まりは同じだからと。
きっかけはHAYABUSAの帰還であり、ヒッグス粒子の発見であったといいました。
ところで、私は神についてこうも言いました。
「人間のモラルや性善性悪に縛られる筈がないと漠然と思っていたからです。もっとどろどろとした、むしろ人間には理解できない何かであってしかるべきだと言う風に感じていたからです。」
それで気付いたことがあります。
日本人は神の概念を間違えている。あるいは取り違えている。
例えば日本人は神道で八百万の神々をうやまうから、唯一神というものに、胡散臭さを感じます。僕自身もそうだった。
ところが、どうも違うんです。
何が違うかというと、西洋やイスラムの神と日本人が考える神の概念がすれ違っているんですね。
何故こんな事が起こるかというと、恐らく、最初に神と訳した日本語訳が間違いだった、だから日本人は神(西洋あるいはイスラムの)を勘違いしている。
名前をつけると理解した気になるが、実は全然違うものだったという事なんです。
日本人にとってわりと神様はなじみが深く、願い事をかなえてくれるものじゃないですか。
けれど、いわゆるヤハウェと呼ばれるユダヤ教・イスラム教・キリスト教の共通の神はその常識から大きく外れてるんですね。
ただし、あくまで日本人の神の常識からです。
例えばユダヤ人は戦に負けて奴隷として連れ去られて一族離散して迫害を受けました。
それでも神を信じてるんです。おかしいでしょ?
あるいは欧米ではこんなジョークがあります。
「悪魔が殺した人数は数え切れるが、神が殺した人間は無数だ」
どうです?
少なくとも日本人が信じる神の概念と明らかにかけ離れています。
つまり、最初の日本語訳がおかしかった。
恐らく、既存の神という言葉を当てはめるべきではなかった。
ヤハウェ=唯一神=人間の力ではどうしようもない運命あるいは天(宇宙)
今全世界で信仰されている神は ↑ これなんです。
イスラムやユダヤ教では偶像崇拝を許さないじゃないですか。あれはだから、ある意味、正しいんです。
擬人化するとどうしても、頼ってしまう。けれど、本当のヤハウェはどうしようもないやつなんだと。
間違ってはいけないと、言うことなんですね。
続くかも
初めて話すこと2
2012年3月30日 神と人について書いたもの コメント (6)実は、昨年10月くらいに不意に神の存在を感じました。
それは別に、奇跡を体験したからとか、そんなんじゃないです。何ていうのかな、神(悪魔かも?)は、いる、 と漠然と仕事中に信じることができました。
僕はそもそも、神というものにうさんくささを感じていました。特に神の世界に序列があったり、唯一一神教とか救世主とか有り得ないと思っていました。
理由は、神という絶対的な力を持ったものがもしいるなら、それは人間のモラルや性善性悪に縛られる筈がないと漠然と思っていたからです。もっとどろどろとした、むしろ人間には理解できない何かであってしかるべきだと言う風に感じていたからです。
アドルフ・ヒトラーはカソリックであるキリスト教を卑下しましたが、イエスに関しては、異常なほどの関心を持ちました。彼はこう言っています。
人間とは、生成途上の神である
つまり人間とは神へと進化する途上の生き物だと。
一見、途方もない言いようです。なのですが、ある出来事がきっかけで、この言葉が私の中で大きく膨らむ事になったのです。
昨年、日本の人工衛星「はやぶさ」が地球に帰ってきました。世界初、地球外小惑星の塵をたずさえて帰還した「はやぶさ」が何故クローズアップされたかと言うと、持ち帰った塵が宇宙創生のプロセスを解き明かす可能性を秘めているかも?と予想されたからです。何故かというと、火山活動を繰り返している地球に比べ、小惑星の塵は、何百億年もそれ以上も変化していない為に、遥か昔の宇宙の状態を解き明かす鍵になると思われたからです。
そうです。つまり、宇宙においては静寂が過半で、変化が乏しいのが当たり前な訳です。それを理解した瞬間、あるひとつの考えが浮かびました。
例えば、人が石を投げる。これはひょっとして奇跡 ではないのか?宇宙レベルで考えて、物質が慣性を得て移動するに当たって、人の意思が介在するというのは、奇跡ではあるまいか?
なるほど、確かに人の身体の中では質量保存の法則やら何やら物理的に説明できる運動が起こって、結果、石を投げると言う行為に行き着くのでしょうが、しかし人が自分の意思で石を投げることができるようになるまで、進化の過程を経て、一体何十億年かかっていることやら。
悟りました。
実は人間は、宇宙レベルで毎日奇跡を起こしている!
私達が、今何気なく生活している、その日常は実は宇宙レベルで奇跡の連続なのです。もはや、神の世界と言っても過言ではありません。
しかし、分子、あるいは原子レベルでは構成要素は物質と同じであるはず。細分化すれば、そこらへんの石やらテーブルやら、果ては空気と変わりがない筈なのです。
つまり、始まりは全て同じ。もしもこの宇宙のどこかに神の意思があるとすればそれは、全ての人間の意思の中にすでに介在しているのではあるまいか?
宇宙自身に意思があってもおかしくはないのではあるまいか?
つまり、人の意思の中に、実は神の意思が混ざりこんでいる可能性がある。
更なるインスピレーションは、ヒッグス粒子の発見につながるかも?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111214002
というニュースでした。宇宙空間は無の世界ではなく、ヒッグス粒子で満たされているというのです。それはつまり、何もない空間などなく、宇宙はひとつの泡に過ぎないと言うことになります。
例えば、生物生存につながる食欲や性欲、生存要求などを、そぎ落とし、残された意思の中に、神(悪魔?)の意思が存在していてもおかしくはありません。何故なら、宇宙は1個につながっている以上、元は同じものなのです。
もしも違いがあるとすれば、それは時間の観念に他なりません。体内時間の違いが、人の理解を超えているから、それを把握することができないのです。
そして死とは?物質が持つ体内時間への回帰ではあるまいか。
奇跡や魔法など、ありません。何故なら人の日常自体が宇宙レベルの奇跡の連続であり、身体(形態)の進化をやめ、周り(環境)にともない道具の進歩に飽き、意思の覚醒に気付いた時に、この世界の理解はもっと深まるでしょう。
人は何故、山に登ると達成感を覚え、未知の世界の探求に夢中になり、音楽に身を任せたりするのでしょう。
そこに神の意思があらかじめ内包されている可能性があります。
そういう意味においては、バロックを教会音楽にもちいたのはある意味正しいかもしれません。心地よい音階の中には宇宙を理解する物理法則が隠されています。ある一定の音階で進むと心地よく感じるのは、同じ法則が宇宙や自然に適用されているからなのです。
まだ、書ききれないこともありますが、これ以上さらけ出すと狂人あつかいされかねないので。
それではこの辺で。
それは別に、奇跡を体験したからとか、そんなんじゃないです。何ていうのかな、神(悪魔かも?)は、いる、 と漠然と仕事中に信じることができました。
僕はそもそも、神というものにうさんくささを感じていました。特に神の世界に序列があったり、唯一一神教とか救世主とか有り得ないと思っていました。
理由は、神という絶対的な力を持ったものがもしいるなら、それは人間のモラルや性善性悪に縛られる筈がないと漠然と思っていたからです。もっとどろどろとした、むしろ人間には理解できない何かであってしかるべきだと言う風に感じていたからです。
アドルフ・ヒトラーはカソリックであるキリスト教を卑下しましたが、イエスに関しては、異常なほどの関心を持ちました。彼はこう言っています。
人間とは、生成途上の神である
つまり人間とは神へと進化する途上の生き物だと。
一見、途方もない言いようです。なのですが、ある出来事がきっかけで、この言葉が私の中で大きく膨らむ事になったのです。
昨年、日本の人工衛星「はやぶさ」が地球に帰ってきました。世界初、地球外小惑星の塵をたずさえて帰還した「はやぶさ」が何故クローズアップされたかと言うと、持ち帰った塵が宇宙創生のプロセスを解き明かす可能性を秘めているかも?と予想されたからです。何故かというと、火山活動を繰り返している地球に比べ、小惑星の塵は、何百億年もそれ以上も変化していない為に、遥か昔の宇宙の状態を解き明かす鍵になると思われたからです。
そうです。つまり、宇宙においては静寂が過半で、変化が乏しいのが当たり前な訳です。それを理解した瞬間、あるひとつの考えが浮かびました。
例えば、人が石を投げる。これはひょっとして奇跡 ではないのか?宇宙レベルで考えて、物質が慣性を得て移動するに当たって、人の意思が介在するというのは、奇跡ではあるまいか?
なるほど、確かに人の身体の中では質量保存の法則やら何やら物理的に説明できる運動が起こって、結果、石を投げると言う行為に行き着くのでしょうが、しかし人が自分の意思で石を投げることができるようになるまで、進化の過程を経て、一体何十億年かかっていることやら。
悟りました。
実は人間は、宇宙レベルで毎日奇跡を起こしている!
私達が、今何気なく生活している、その日常は実は宇宙レベルで奇跡の連続なのです。もはや、神の世界と言っても過言ではありません。
しかし、分子、あるいは原子レベルでは構成要素は物質と同じであるはず。細分化すれば、そこらへんの石やらテーブルやら、果ては空気と変わりがない筈なのです。
つまり、始まりは全て同じ。もしもこの宇宙のどこかに神の意思があるとすればそれは、全ての人間の意思の中にすでに介在しているのではあるまいか?
宇宙自身に意思があってもおかしくはないのではあるまいか?
つまり、人の意思の中に、実は神の意思が混ざりこんでいる可能性がある。
更なるインスピレーションは、ヒッグス粒子の発見につながるかも?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20111214002
というニュースでした。宇宙空間は無の世界ではなく、ヒッグス粒子で満たされているというのです。それはつまり、何もない空間などなく、宇宙はひとつの泡に過ぎないと言うことになります。
例えば、生物生存につながる食欲や性欲、生存要求などを、そぎ落とし、残された意思の中に、神(悪魔?)の意思が存在していてもおかしくはありません。何故なら、宇宙は1個につながっている以上、元は同じものなのです。
もしも違いがあるとすれば、それは時間の観念に他なりません。体内時間の違いが、人の理解を超えているから、それを把握することができないのです。
そして死とは?物質が持つ体内時間への回帰ではあるまいか。
奇跡や魔法など、ありません。何故なら人の日常自体が宇宙レベルの奇跡の連続であり、身体(形態)の進化をやめ、周り(環境)にともない道具の進歩に飽き、意思の覚醒に気付いた時に、この世界の理解はもっと深まるでしょう。
人は何故、山に登ると達成感を覚え、未知の世界の探求に夢中になり、音楽に身を任せたりするのでしょう。
そこに神の意思があらかじめ内包されている可能性があります。
そういう意味においては、バロックを教会音楽にもちいたのはある意味正しいかもしれません。心地よい音階の中には宇宙を理解する物理法則が隠されています。ある一定の音階で進むと心地よく感じるのは、同じ法則が宇宙や自然に適用されているからなのです。
まだ、書ききれないこともありますが、これ以上さらけ出すと狂人あつかいされかねないので。
それではこの辺で。