まあ、荒れそうなお題で恐縮ですが、久しぶりに書きます。

今日もネットニュースで九大の米兵解剖事件の証言という記事をみてて思ったんですが、日本国内の「戦争はひどい」「二度と繰り返してはいけない」という論調をみるにつけ、いつか書こうと思っていたことです。

まあ、仕事がら、資材購買をやっているものですからISO上の品質異常とか解析処理とかが回ってくるので、今日はそれに関連付けて書いてみたいと思います。

まずね、例えば捕虜虐待とか腕が飛んだりはらわたが出たり、まあ特攻でもいいんですが、これはね、どんなにむごかろうが戦争じゃないんですよ

戦争と言う不具合があったとしたら、これらは現象面に過ぎないんです。その現象面をとらえて、戦争は二度としてはいけない、軍隊は悪だというのはね、それは不具合の本質から目をつぶって、食わず嫌いに徹してるだけなんです。

戦争ってね、人と人の殺し合いじゃないですか、だから惨いのは当たり前なんですね。それを今更あげつらっても、何の解決にもならないんです。

戦争と言う人災の表面に現れる現象を指して騒いでいるだけで、これはISOに照らすと最もやってはいけないことなんですね。その最もやってはいけないことを日本人はしていると僕は思います。

まずは現象面があって、原因があって、それに対する応急処置、最終的には恒久処置を取り、そして予防。これが不具合に対する解析から対策の一連の流れのあるべき姿です。

その入り口で止まっている。これはいけません。

では戦争とは何か。これは実は最近急速に姿を変えつつあるのですが、まあ大まかに言えば

国と国同士が外交で決着がつかず武力に拠って解決しようとする、あるいはされる場合。

国の中に新たな国が興り武力で解決が見られた場合

だと僕は思います。2番目のやつが、まあ最近いわれてる、いわゆる急速に姿を変えつつある戦争なんですがね。今後、更に戦争形態は変わっていくと言われています。特にアメリカが、政府機関にサイバー攻撃をされた場合、宣戦布告とみなす、とか言ってますから。まあ、きょうはステレオタイプの戦争の話をします。

日本は、幸か不幸か70年戦争を知らずにきました。こんな国は稀有ですし、そしてある意味、これは非常に貴重なサンプルだと思っています。

人間が、戦争から遠ざけられて生産活動に従事した場合、いったいどんな化学反応を起こすか、興味が・・・・・すいませんちょっと脱線してしまいました。何が言いたいかというと、70年戦争が無い状態が異常で、未来、日本は必ず戦争に巻き込まれる時がくる、ということです。

ちなみに今現在、実は戦争が、何故起きるのか?という理論的解決はありません。戦争のメカニズムに関して最も進んでいる学問はと言えば、国際関係論ですが、そこでの議論でも、どういうメカニズムで戦争が起こるのか結論は出ていません。まあ、僕個人的には、人間が起こす事が不可解だからこそ結論が出ていないのだと思っています。

話を戻しますが、それではISO上で処置を考えた場合、つまり仮に、戦争が起こってしまった場合、攻守にかかわらず、これは全力で勝ちにいかなくてはなりません。戦争に負けてよかった、と言っている日本が異常なだけで、国籍が変わったり賠償金を課されたり、インフラを壊されたり、いいことなどありません。

応急的には、平時から起きた場合に備えて対処する必要が出てきます。中国の南シナ海の埋め立てを他人事のようにみていますが、あのトライアングルが完成すると、実に南シナ海の8割以上が中国の領海になってしまいます。将来的にはその上空が防空識別圏に設定され、有事には中国海軍が自由に船舶の臨検を行う事にもなりかねません。マスコミはそういうプロセス後の事は書かない。予想になるからでしょうか。・・・いかん、また脱線しかけました。


それでは、戦争に対する一定のメカニズムが無い状況では、戦争を予防することは不可能なのでしょうか?

僕は、実はこの部分が今の日本に最も欠けている部分だと思っています。如何にして人災である戦争を防ぐか、今現在もっとも有効な方法とされているのは、過去の事例から学ぶ事です。二つの世界大戦や大小の戦争が、どういったプロセスで誘発されたのか、それを体系化して学問として学ぶ機関が日本にはありません。具体的に言うと高校や大学に講座が無い。そんな国は日本ぐらいのものです。戦争を毛嫌いして学ぼうとしないから、東日本大震災時に自衛隊の半分以上を交替も無しに投入しようとする馬鹿な政治家が出てくる訳ですよ。あの時、ワスプ級揚陸艦だけで充分なのに、何故「ロナルドレーガン」が飛んできたか、・・・いかん、また脱線してしまいました。

まあ、そういう訳で長々と久しぶりに書いてしまいましたが、ようするに戦争の現象面に囚われずに、もっと戦争という人災を立体的に学ばないと、国際情勢をみて日本が戦争に巻き込まれそうなのかどうなのか理解できないですよ、それを元にちゃんと選挙にいくんだよ、まあ、僕が言いたいのはそういう事です。

日本は民主主義の国であり、主権は国民にあります。つまり、国民が冷静な判断力を持たないといけません。もしも戦争が起こってしまったとしたら、それは政治家のせいではなく、主権者たる国民のせいです。それを自覚して、もっと政治に加われよ、国民よ。

まあ、そんな感じで。


【OMAKE】

アオゾラの騎士 3話 ~王国の剣~

http://www.nicovideo.jp/watch/sm25916372

3話でやられちゃった。新鮮だわ。紹介したくなっちゃったのであげ。



1話はこっち

http://www.nicovideo.jp/watch/sm25853488


 リメンバーパールハーバーを唱えて米国の戦意を煽ったルーズベルトですが、
では対米戦に宣戦布告が必要であったか?

 何故、米国は怒ったか?又は怒るだけの論理的余地があったか?と問われれば、
あったと答えるしかありません。ただし、これは絶対正義ではなく、そういう
論法も有り得るとだけ、言い添えておきます。

 その頃の流れとして、帝国はいわゆる日中戦争のただなかにありましたが、
これは大日本帝国いわく戦争ではありませんでした。支那事変あるいは当時の
呼び方としては日華事変と言い表されていましたが、両国とも宣戦布告を
行わず、両国ともこれを事変であると言い張ったのは滑稽ですらあります。

 何故なら、当時の国際法上、戦争状態に突入すると第3国に中立義務が
生じてしまい、アメリカは中華民国を応援できなくなってしまいますし、
日本としては、戦争を起こして中華民国領土を侵略しているというレッテルを
貼られる事になります。

 蒋介石は第3国からの援助を切望していましたし、勝てると踏んでいた日本は
あくまで事変として片付けたいが為に、双方奇妙な戦争ではない事変を欲して
いた訳です。

 ただし、米国にとってこの状態は日本の欺瞞をあばきたてる格好の材料には
なりました。

 実質、戦争であるのにもかかわらず、対中戦を事変で片付けようとしていた日本が、今度は又、宣戦布告無しに米国を騙まし討ちした!

 当時の世情を考えれば、充分通る論法になります。

 

 ただ一言付け加えさせてもらうとすれば、真珠湾は最初の1歩ではありませんでした。何故か話題にのぼる事はありませんが、真珠湾にさかのぼる事5時間前に、
帝国陸軍はマレー半島英領コタバルに上陸を開始していました。

 もちろん、英国への宣戦布告無しにw 

 チャーチルは何も言いませんでしたし、日本として英国への宣戦布告は
ありませんでした(ヲイw

 


 発生した出来事を

   最大限、自国の利益として生かす。

            それが外交官の仕事である。   lol


 山本五十六にとって真珠湾はなんだったんでしょう?

 僕には彼の、ざまあみろ!って言う意趣返しみたいなものに感じられて
なりません。ロンドン軍縮条約の時まで、彼は強硬に対米英比率を抑えられる
事に反対していました。会議の席で強硬に日本の海軍比率を上昇させることを
主張していましたし。
 
 その彼が海軍航空隊拡充に尽力したのは、航空機が軍縮の規定からはずれて
いたからに他なりません。いわゆる対米7割に抑えられた戦艦保有率。それに
替わるものとして航空機の拡充を急いだのは自然の成り行きだったのです。

 しかしながら当時の大日本帝国海軍において、既定は艦隊決戦指向でした。
仮に対米戦が行われたとして、フィリピンを助けに来攻する米戦艦群との洋上決戦こそが、起こりうる現実の予想だった訳です。

 そんな、わざわざ太平洋を横断してアメリカ艦隊が大挙のこのこ出てくるか?
そういう意見もありましょうが、当時は充分有り得る事態だったのです。
民主主義の国としてフィリピンに駐留する数万の米兵を見捨てる事は有り得ない
ですし、何より日本海海戦という至近の過去においては太平洋横断どころか、
長躯黒海からアフリカ周りで日本海に来襲するという事例もあった訳ですから。 

 太平洋戦争で名を挙げたニミッツやスプルーアンス。彼らなどは尉官時代に
日本を訪れ、東郷平八郎との面会を熱望するほどであったのです。

 特にスプルーアンスは、大和最期の出撃においては、彼自らが戦艦vs戦艦での
砲撃戦で大和に引導を渡すのが礼儀であるとさえ考えていた節があります。

 ミッチャーの独断索敵行動に阻まれましたが・・・・・まあ、この話は本筋から
脱線するので置いといて。

 大日本帝国海軍がいかに艦隊決戦指向を望んでいたかを端的にあらわすのに
うってつけの船があります。重雷装艦をご存知でしょうか?

 琢磨型軽巡洋艦を改造したこの船は片舷に61cm4連装魚雷発射管を5基も積んでいましたが、次装填無し。
つまり片舷発射20発、回頭後もう片舷発射20発でお役ごめん
という、艦隊決戦時の為にのみ活躍できる船でした。

 潜水艦においては、艦尾に魚雷発射管を設けた艦型は存在しませんでした。
後ろに魚雷発射管を持つ意義は、通商破壊戦において離脱時に敵護衛艦に反撃する為に米英は率先して設けていましたが、
帝国海軍において潜水艦は艦隊決戦に先立ち、敵海上戦力を削減するのが目的でありましたから、後ろに魚雷発射管を設ける発想自体がなかったのです。

 まあ、そんな訳で営々と帝国海軍は艦隊決戦のための海軍を築いてきた訳ですがそんな数十年に渡る努力を粉微塵に打ち砕いたのが真珠湾攻撃でもありました。

 真珠湾において、あろうことか米戦艦群が一挙に行動不能になってしまった訳であります。こうなってしまえば米軍としても、艦隊決戦したくとも駒がありませんから、残された巡洋艦・空母でゲリラ的に戦うしかなくなった訳です。

 もしも真珠湾がなく、軍令部の意向通りに南方作戦に空母が使われていたら?

 さあ、どうなっていたでしょう。

 真珠湾当時、柱島に帝国海軍戦艦部隊が待機していたのは南雲部隊が真珠湾攻撃後に、長躯出撃してくるであろう米戦艦主力艦隊に備えていたからに他なりません。

 ああああああああ、もう2:00回ってしまいました。それでは今夜はこの辺で。

 脳内変換のみで流し書きしたので駄文かもしれませんが、それでは又。
 突然のお題ですが。まあ、書き散らす分にはいいかなと。

 もちろん、風神の書く事ですから、通り一遍の事は述べないつもりですが。


 さて、ミッドウェーと言うと真っ先に思い浮かぶのがやはり太平洋戦争の
ターニングポイント。空母4隻を一気に失ってガダルカナルへと続く消耗戦へと
引きずり込まれ、アメリカの圧倒的な物量に飲み込まれていった。

 そんな印象があると思います。

 もちろんそれは間違ってはいない。

 今まで語られた中で、つらつらあげるとすれば、図上演習での宇垣の
爆弾命中減らし、アリューシャン攻略への無駄な空母配置、そしてご存知、
雷装→爆装→雷装というインド洋遠征での教訓を全く省みない無駄な兵装転換。
さらには、索敵軽視から利根機の索敵発進遅れ等、過去、いろいろと敗因があげられたものですが、風神個人的には何より明らかな気合負けだったかな と。


 そう思っています。

 今まで、書き連ねた事ひとつひとつは間違ってません。ただ、決定的に足りない
部分があるのは確かなんですね。

 それは アメリカ視点が足りないんです。
米軍から見てミッドウェーはどうだったか?どんな戦いだったか?wikiに述べられているところを見ても、全く充分ではありません。

 そこで今回はマイナー誌「歴史群像」で2007年に語られた中からいくつか
記事を紹介し、独自の視点も交えてぶっつけ書いていきたいと思います。


 アメリカが如何に必死だったか?文字通り死力を尽くして、日本に乾坤一擲の
勝負を挑んだか? これが今回の命題になると思います。


 まず有名な暗号AF解読に連なる一連の情報戦ですが、これは決して
アメリカの科学力の勝利ではありません。
 一方的に守勢に立たされていた米軍の中にあって中心的役割を果たした
ロシュフォールは自らベンゼドリン(合成覚醒剤)を頼りに文字通り不眠不休で日本の暗号解読に取り組み、日本の次なる戦略目標がミッドウェーであると突き止めました。

 ところでミッドウェー海戦当時、日米の海軍戦力比は2:1と言ってもよかったと
思います。正直、いくら暗号解読に成功して待ち伏せできるとしても私が
アメリカ太平洋艦隊司令長官なら出撃を許可しなかったかもしれません。

 空母戦力で言えば、日本が赤城・加賀・飛龍・倉龍・龍驤・隼鷹の6隻を投入可能であったのに対して、米軍はエンタープライズ・ホーネット
そして応急修理中のヨークタウンのみでした。
 いまだ、真珠湾奇襲の影響もさめやらぬ中、翌年には建造中の
エセックス級空母が続々と竣工予定でしたから、ミッドウェーを捨ててハワイの
守りを固め、翌年に勝機をつなぐといった用兵も充分に選択肢だったと思います。
それなのにあえて、過小戦力で勝負を挑んだ。

 ニミッツ、気合充分。大和魂がヤンキースピリットに遅れをとってると
感じる瞬間です。

 さて次にあるはずのない3隻目の空母ヨークタウン。ヨークタウンは珊瑚海海戦に
おいて250キロ爆弾を1発。至近弾2発を食らい、とても参戦できる状態では
ありませんでしたが、2ヶ月かかるはずの修理をわずか3日で行い、ミッドウェー
に参戦しました。アメリカの工業力恐るべしといった感じですが、内実は
決してそんなものではありませんでした。

 そもそもヨークタウンの突貫修理を行ったのはハワイ。アメリカ西海岸に
回航して本格的修理を行った訳ではありません。爆弾の炸裂によって
めくれあがった鋼板を切断し、有り合わせの鋼板をなんとドッグ内で必要に
応じて切断、張り合わせて取り合えず浸水を防いだ後、修理要員(民間人)を
載せて修理しながら戦場(ミッドウェー)に向かうという、無茶としか言いよう
がない方法をとったのです。取り合えず浸水を防ぐ応急処置にしてもとても
通常3日で終わるような修理ではなく、3日間徹夜。そして、徹夜の修理作業に
必要な膨大な電力を確保するためにホノルル一帯の各送電区画を順繰りに停電
させて電力を浮かし、それを海軍工廠に送電して修理し続けると言うw

正直、ばれたら訴訟ものです。内々に打診した米海軍省もあれですが、それに
応じたハワイ電力会社のレスリー・ヒックスには頭がさがります。

 突貫修理しながら同時に食料・弾薬の補給もこなして3日で出航するという、
アメリカの工業力云々よりも、正に気合のたまものと言ってもいいでしょう。

 
 さて、ミッドウェーで名を上げたスプルーアンスですが、彼も気合の無茶を
しています。ミッドウェーの哨戒機から敵機動部隊発見の報を受けるや否や、
往復の航続距離が足りないにもかかわらず、しかも戦闘機の護衛無しで
雷爆部隊を発進させました。

 
 いわく
「全力をもって接敵につとめ、攻撃機収容に向かう」

 ぶっちゃけ、飛行機の航続距離が足りない分は艦隊が日本艦隊に近づいて
収容するよう努力するから取り合えず、逝ってこいお前ら。

 ひでーw

 当時の米軍の技量はそんなに高くはありませんでしたから、航続距離ぎりぎり
の攻撃でも危うかったと思います。まあ、幸い陸上基地としてミッドウェーが
ありましたから、そんな無茶も言えたのかも知れません。

 事実、エンタープライズ所属の何機かは母艦を見失い、ミッドウェーに着陸
しています。



 さて最後。

 超応急修理を終えたヨークタウンですが、唯一、ミッドウェー海戦において
米軍側で戦没しています。が、これは決して偶然ではありません。

 応急修理艦の足手まといであることを充分に感じていた司令官フレッチャーは
自ら突出。飛龍からの攻撃を一手に引き受けました。

 応急修理もいいところのずたぼろヨークタウンが何故に飛龍からの2度に渡る
攻撃に耐えることができたのか? 

 思い出してください。ヨークタウンには修理しながら戦場に向かったがゆえに
修理要員(民間人)を載せて出航した事を。

 飛龍からの1回目の攻撃で爆弾3発を飛行甲板に食らい、一時使用不能になるも
わずか20分の補修で復旧w おかげで飛龍、搭乗員はヨークタウンを新たな
敵空母と誤認、2回目の攻撃でもヨークタウンに殺到しました。

 う~ん、これを気合と言ってもよいのかどうか。



 いずれにせよ、少なくともミッドウェー海戦の敗因は日本の慢心・油断・
作戦行動の不備だけで起こったことでは、ないことは確かです。

 追い詰められたアメリカの、正に死力を尽くした乾坤一擲の反撃が実った。

 そういう一面も否定できないと思います。


 
 海戦勝利後、米太平洋艦隊司令長官のニミッツは記者会見に際して次のように
言っています。

「我々はようやくミッドウェー(道の半ば)に達した。しかし実に戦いは
これからだ。」

  
 実は小泉は割りと近かった。何かって、靖国に関して。

   コンバンワ、風神です。

 今まで過去にいろいろと戦争の事とか政治の事とか書いたり
したけど、靖国問題に関してはあえて触れませんでした。

 何故かっていうと、風神は天邪鬼だから、他人と同じ考え
だったりすると、意見言いたくなくなるの。

 ところで、小泉さん。もうすぐ任期も終わりだけど、私の
感覚で言うと10年たったら、名宰相と呼ばれているかも
しれないと思っています。

 彼以外では拉致家族は一人も帰って来なかっただろうし、
彼以外の首相で、自分の裁量でポストを任命できる体制は
作れなかっただろうし、彼以外では道路公団・郵政民営化は
出来なかったと思います。

 まあ、中身はさておき・・

 ところで、A級戦犯についてだけど、実は意外に思われるかも
しれませんが、極東軍事裁判については私はその意義を認めて
います。

 合法かどうかは置いとき、アレの存在意義はあったと
思います。

 ひとつの区切りとして、東条英機の言葉を借りるなら

 戦争を指揮して多くの国民を死なせたのは確かであるから
甘んじて罪を受けようと思う。

 ごもっとも。

   ただ広田弘毅は無罪だと思うけどな、どう考えても。

 その上で、なんで罰を受けたのに死者に鞭打つ

と思う訳です。この辺が、小泉さんに近い。普通、裁判を
受けて罪に対する罰を受けたら放免でしょ?

 死刑という罰を受けたから、それで終わりじゃないの?

 このへん、どうなんでしょうか。

・・・まあ、こんな事言うと叩かれるかもしれませんねw

 それともう一つ、風神、不思議なんですが、今でこそ中国は
国連で拒否権持ってでかい顔してますけど、

 アレはそもそも連合国じゃないでしょ?w

 サンフランシスコ講和条約で日本は極東裁判の決定を
受け入れました(まあ、この辺は異論があるけど)けど、
それの批准国は以下、

アルゼンティン
オーストラリア
ベルギー
ボリヴィア
ブラジル
カンボディア
カナダ
チリ
コスタ・リカ
キューバ
ドミニカ共和国
エクアドル
エジプト
エル・サルヴァドル
エティオピア
フランス
ギリシャ
グァテマラ
ハイティ
ホンデュラス
イラン
イラク
ラオス
レバノン
リベリア
メキシコ
オランダ
ニュー・ジーランド
ニカラグァ
ノールウェー
パキスタン
パナマ
パラグァイ
ペルー
フィリピン
サウディ・アラビア
南アフリカ連邦
スリ・ランカ
シリア
トルコ
グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国
アメリカ合衆国
ウルグァイ
ヴェネズエラ
ヴィエトナム
日本国

 そうなんですね、何で誰も言わないのか知りませんが

  中国は連合国ですらありません

  つまり中国は、事、極東裁判とそれによって発生した罰、
その結果の履行に関してサンフランシスコ講和条約
第四章第十一条に定められているところによると、

 批准国ですらないので何も言う権利はありません

 この事をふまえて、内政干渉云々言う人とかもいますが
それ以前の問題として

 A級戦犯合祀だからどうとか、中国には関係ないこと
なんですよ、本来は。

 この辺の線引き、皆さん(誰よw)判ってほしいなー。

 まあ、そんな感じな訳ですよ。どう?

68836

 
 毎日89人、自殺してます。年間3万2552人です。

 有り得ません。でも事実だからしょうがない。

  追記あるかもー

 今日はちょっと久しぶりに思いっきり書きます。

 3万2552人というのは6月に発表された昨年度の自殺者の数
です。が、これはあくまでも自殺であると認められた人の数で
あり、行方不明者や家族が自殺である事を隠したりするケース
を考えれば、実数はもっととんでもないことになるかも
しれません。

 これは先進国の中では群を抜いて多い数であり、もはや
狂気といってもやぶさかではありません。

 私自身、中学1年の頃まで毎日死にたいと思い、小学5年生
の時に校舎の屋上に登って大騒ぎを起こした経験があります
が、しかしどうもそういうのとは違うと思っています。

 よく言われることは、というより、皆さん当たり前の事と
して自分の命は自分のものという感覚があるかと
思いますが、いや私もそう思っていますが、世界の大多数の
人間、少なくともイスラム教圏キリスト教圏では命は神から
いただいたもの(いやほんとに)という常識があり、
それ故、自ら命を絶つことに対して一定の歯止めがあるために
日本と比べて自殺者の数が少ない、そんな風に言われたり
するわけなんですが、どうもそれだけでは説明がつかない
と私には思えてなりません。

 それよりはむしろハムスター

 これです。

 ハムスターから運動を取り上げるとストレスがたまり、
凶暴になった挙句、ノイローゼにかかってものを食べなくなり
自ら死んでしまいます。

 日本は正にこのハムスター症候群(注:自作)にかかって
いると思えてなりません。

 だいたい、働かずに毎日ゲームばっかして30代
許されるほどのぬるま湯なんて、全世界的にみても日本以外に
あるんでしょうか。

 余裕が職業選択の自由を産みましたが、そんなもの一握りの
能力者にしか、本当は通用しませんし、端的に言えば

 努力はむくわれない。しかし、成功したものは
    必ず努力をしている

 ああ、ちと中断。追記あるかもー

日本は平和なんですよ。でも実は、前の日記でも書いたけど
世界中でこの60年、戦争を体験したことがない国ってのは、
ほんと、スイスとか数えるくらいしかないんです。

 アジアでは一体、何カ国だろう?中国も韓国も北朝鮮も
インドネシアもインドやパキスタン、アフガニスタンはゆうに
及ばず、オーストラリアも派兵経験ありますし、うーん?

 つまり今の日本の状態は全世界的にみて、特異なくらい
戦争を経験していないんです。しかも日本人はそれをほとんど
自覚していません。気付いてない。

 そんな平和な世界にいて、毎日何十人も自ら命を絶っていく。

 そこに私は何かしら、種としての反動を感じます。

 あまりにも自由で、それでいて何をしていいか判らない。

 大人として生活していくためにお金を稼ぐのはそれは大変
なんですが、他にすることがあるんじゃないか、とか?
思ったり?

  それが実は戦争?はっ、まさかそんなことは。

 ちょっと話がショートしてしまいましたね。

 この命題に関しては、また機会があれば書いてみたいと
思います。

 それではまた。
 

 
  
 コンバンワ、風神です。

 よもやま話。

 今更なんですが、「男たちの大和」をみました。ところで、
大戦末期に発令されたこの菊水作戦、所謂「大和の海上特攻」
が、本当に特攻に当たるのか?

 こういった議論が今年に入ってなされたことがあります。

 「沖縄における第2艦隊の作戦は特攻か否か?」

 日本遺族会の方々の間で語られたこの議論の発端は、

そもそも、特攻の場合、戦死者は2階級特進し戦後は特攻慰霊碑に
名前が刻まれるのだけれど、第2艦隊の場合は
そのどちらも行われていない。

 つまり、政府が公式には特攻と認めていない?!

 形のうえではそういうことになっているんですね。

 ところが、菊水作戦発動時の軍令部命令電報、以下に示します

GF(連合艦隊)電令作第六〇三号
 「第一遊撃部隊ハ海上特攻トシテ八日黎明
   沖縄ニ突入ヲ目途トシ急慮出撃準備ヲ完成スベシ」

 慮の字だけ変換できなかったんで当て字wですが、はっきり
特攻と言ってるわけです。

 戦後世代からすれば、べつにどちらでもいいじゃないか、とか
いわれそうですが、当事者であった日本遺族会の方々に
してみれば、

 第2艦隊以下6800名余の人間に対しての生殺与奪の命令で
あった訳ですし、逆に今になって冷静に議論できる問題で
あったのかもしれません。

 実は、菊水作戦前に、大和以下残存艦艇を使って最期の囮作戦
をしよう、という案がありました。

 あまり知られていないかもしれませんが、沖縄作戦中の敵
機動部隊を囮で北につりあげて五航戦(九州鹿屋基地以下)の
航空兵力で叩く、そういう構想だったらしいですが、それも
何故か立ち消えになっています。

 恐らく、3月未明(いつかわすれた)、海軍軍令部総長の
及川古志郎が宮中に参内して、陛下に南西諸島方面の戦況を
報告した際、現在の状況を打破するために、航空機による特攻
を行う旨の奏上を行った時に陛下が言われた

 「海軍ニハモウ艦ハナイノカ、海上部隊ハナイノカ」

 この有名な一言が、作戦(というのもおこがましいが)を
急転回させたのではないかと、風神は思っています。

 裏で動いていた和戦降伏派であった海軍大将米内光政と
近衛文麿が、この陛下の言葉を利用して特攻作戦を強行させ
無条件降伏の為の最期の一撃を海軍に与えた

 これが風神の中での理解です。この件に関しては、また
折をみて詳しく書いてみてもいいなー。

 と、・・少々表題からずれていましたね。まあ、私として
は、確かに燃料往復分確保していましたし、特攻ではなく
作戦だったのかもしれませんが、出撃していった人達の
心情はまぎれもなく特攻だったでしょう。

 あんま、長くなるとあれなんで、GSの阿部さんのコメントを
まとめとして引用しておきます。

 実質的には「殴り込み作戦」であり「囮作戦」でもあり場合によっては「上陸作戦」でもあるが海軍上層部としてあくまでも「海上特攻」なので海上特攻要員の人事処理を「航空特攻と同一の取り扱い」を要望し昭和20年7月30日の連合艦隊告示で「海上特攻」として布告している。
まあその後、2週間で8月15日を迎えたのだから要望のままでなし崩しになってしまった部分もあるのだろう。
いずれにしても亡くなられた多くの方に掌を合わせ冥福を祈りたい。   GS掲示板2006.2.17からの引用

 合掌

 それでは、今日はこのへんで。

 

 
 ずっと書かなかったくせに連荘とは何事よ!とか言わんで
ください。

   コンバンワ、風神です。

 私は決して右翼ではありませんし、特に斜に構えた人生を
送ってるとも思ってません。まあ、実は明かすとすごい
投げやりな感じの人生なんだけど、それは今回は置いといて

 ちょっと、久しぶりに語ってみたいと思います。

 今回のテーマは

  立ち止まって考えるテーマを与えてみるか、誰によ?

 まあ、ひかないでください。

 今から語る事はあくまで私の中での感覚と認識である事を
お断りしておきます。

 日本では禁句に近い「徴兵制」つまり国民が何年かの兵役義務
を負うということですが、実はこれは民主主義の始まりと共に
広がった制度であると理解している人が果たして国内に
いるでしょうか?

 民主主義と徴兵制、この二つの制度は互いにイコールに近い。

 私はそう思っています。国民による普通選挙という政治体制
が国民皆兵を産み、そこで初めて大規模に戦える近代的軍隊
というのが生まれたのです。

 それまでは、戦争を行う身分というものが存在していて、
それは侍であったり、貴族であったり、彼らの率いるところに
のみ軍隊という戦闘単位が存在していました。

 しかし、初期のナポレオン以降、身分にとらわれない兵士登用
が初めて大規模な会戦を可能にし、二度の世界大戦にまで
及んだのです。

 身分にとらわれず、国民が皆平等に政治に参加する機会が
得られた(少なくとも絶対王政よりは)事が、ナショナリズム
を産み、戦争専従者ではない民の兵でも士気の高さを確保
しえたのです。

 イコールですよ。

 まだ、えーそうかな。そう思う人はどちらか一方を
取り払ってみてください。

 どっちに転んでもろくなことありませんから。

 考えてみてください。自分が兵隊に取られて戦争に行くことに
なるかもしれないと思ったら、真剣に選挙に行く気になるかも
しれないと思いませんか?w

 それでこそ民主主義が健全に機能するはずです。

 例えば、今、イラクで自衛隊員が殺されたとして何人の人が
関心を示すでしょうか。

 恐らく大多数の人が、程度の差こそあれ無関心で終わる
でしょう。

  明日は我が身ではないからですよ。

 戦争とはなんぞや?これはあくまで様々な政治手法の中の
一選択肢にすぎません。外交による権利獲得と戦争による権利
獲得は、ただやり方が違うだけでどちらも政策のひとつに
すぎません。それを行うかどうかを政治判断できる国が
健全な民主主義を持っている、そうではないでしょうか。

 今、政府がどこそこに自衛隊を派遣する、と言っても
一般人は無関心を装うでしょう。

 自分に関係ないと思っているからです。

 戦争は悪ですか?

 善にも悪にも罪にもなりえます。人を殺す事は?

 これは普通は罪ですよね。でも、戦争してたら別でしょ、とか
言っても日本人にはピンとこない。まあ、身近じゃないから
当たり前です。じゃあちょっと視点を替えて

 今現在、中東から日本に出稼ぎに来ている人達が年間2〜3万人
いるといわれています。そのうちの8割がイラン・イラクから
だそうですが、よくよく考えてみれば彼らは全部とは言いませんが

   銃の撃ち方を知っていて、人を殺したことがあるかも
  しれなくて、戦争というものを知っている

 そんな事、考えた事なかったでしょ。例え彼らに出会った
としても、普通の日本人はそういう思考には到達しないと思い
ます。
 

 さて、風神。今日は様々な投げかけをして、読者の心に
波紋を与えてみようと思いましたが、皆さん、どう受け止められたでしょうか。

 モンモンとした心が鎌首をもたげてくれたなら、うれしい
です。それが例え逆説的な怒りでも構いません。

 自分なりの結論をあえて書かずに、この章を終える嫌らしさ。

  いいですよね。それでは又、来週。
 

 

 

 
 東条元首相のお孫さんがテレビに出ていた。まあ、それは
さておき、私は個人的に言わせてもらえるなら

 太平洋戦争の戦犯は近衛文麿

 だと思っている。誰も彼に触れないのが不思議なのだがw

 笑っちゃいかんね。

 東条の軍服姿ばかり目立って、彼が独裁者のような印象を
得ている人が多いと思うけれども、彼はそもそも

  ほとんど実戦の経験がないどちらかと言えば
    軍官僚と言うか、中将の息子だから

 そういった印象が私にはある。そもそも、石原を放逐して
満州を抑えていた事もある彼なら、陸軍の抑えにもなると首相に
望まれた事はあまり知られていないかもしれない。

 さて、近衛なんだけど、まあ彼は公爵家の出でもあるし、
その上、京大出身で学者連中なんかを組織して、建前は

  進歩的民主的な政治を目指していた

 らしいのだが、やってる事と言ってる事が全くの正反対

 彼がやった事といえば

  盧溝橋事件を重大視して事の真意も確かめずにほいほい
中国に派兵するは南京陥落に浮かれて中国に賠償請求するは、
おまけに

   蒋介石は相手にせず!

 とか言い出して国民党との仲を決定的にするは

   どこが進歩的民主的なのかと私は問いたい

 1938年には「国家総動員法」を制定して、挙国一致体制とか
なんとか、

  まあ、国民も馬鹿なんですけどね

 何故、近衛が3回も首相になったのか私には理解できません。

  おまけに全部、途中で投げ出してるしw

 開戦前のわずか7ヶ月で、アメリカからも相手にされず、開戦直前に
内閣を投げ出した彼の真意を問いたい。問い詰めたいです。

  まあ、最後は服毒自殺したんだけどね。

 ちょっと、話題がアレだよね。

  まあ、たまにはこういうのも。

   あー「大政翼賛会」つくったのも彼だな、うん。

 

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