かつて第一次大戦を引き起こしたバルカン半島を思い起こす
までもなく、半島国家は常に戦争を引き起こす地理的要素を
はらんでいます。
60年と時間をくぎって世界を見渡した時、戦争を体験した
事がない国は実は両手の指の数よりも少ないのです。
日本もその稀有な国の一つである訳ですが、半島国家の
すぐ隣に位置するにもかかわらず、稀有な国であり続けた
理由は、日米同盟と朝鮮戦争であると風神は考えます。
常にスーパーパワーであり続けた米国との同盟。そして、
あまりにもドラスティックにすぎた朝鮮戦争の記憶。
恐らく、このBLOGを通じて風神の日記を見ている人達の
大半は朝鮮戦争の記憶と言われても、何を指すのかさっぱり
判らないと思いますが、いやもちろん風神もそんな歳では
ないんですがね。
1950年6月未明に始まった朝鮮戦争は、結局38度線を休戦
ラインに収まって現在に至っていますが、その戦線の推移を
追っていくと、正に参戦国例外なく死力を尽くした戦いで
あった事は間違いがありません。
10個師団をもって奇襲攻撃をかけた北朝鮮は開戦後わずか4日
でソウルを陥落。危機感を抱いたアメリカは翌月には地上軍を
投入するも、7月4日の鳥山の戦いにおいて惨敗します。
北朝鮮軍は大田を陥落させ、半島の南端、釜山にまで
せまるのです。
壊走する韓国軍、アメリカは国連旗を掲げて交戦するも、
7月29日には‘死守命令‘を出すほどに追いつめられます。
北朝鮮8月攻勢、韓国、首都釜山に移転。海兵旅団投入で
なんとか支える国連軍。
北朝鮮9月攻勢、北朝鮮第10師団、謎の沈黙に救われる。
運命の仁川上陸作戦が行われる9月15日に至るまでの3ヶ月弱、
国連軍が防戦一方であったのは間違いありません。
「5000対1の大博打」と呼ばれた、米軍仁川上陸。壊滅寸前
だった国連軍10万もこれで息を吹き返して北上、9月28日には
ついにソウルを奪還します。
38度線以北に北朝鮮軍を押し戻すことに成功した国連軍は
金日成に降伏を呼びかけるも黙殺され、10月2日をもって、
今度は北朝鮮領内に逆進攻。10月20日、首都、平壌を陥落させ、
北朝鮮の運命は正に風前の灯火となります。
が、10月25日。またしても事態は急展開します。有り得ない
と思われていた中華人民共和国の直接武力介入。アメリカが
予想もしなかった18万の大兵力をもって中共軍が半島に
なだれ込み、11月未明、国連軍、38度線以南へ総撤退。
12月31日、再びソウル陥落。事態は正に泥沼のような消耗戦
へと展開していきます。
1953年7月27日に休戦協定が結ばれるまで、結局この消耗戦
は続き、38度線付近では不必要な多くの血が流されることに
なったのです。
いかん、つい夢中になりすぎました。寝ますわー。まあ、
かなり、はしょりましたが、日本人の大半は朝鮮戦争の中身に
ついてほとんど知らされていないと思い、つい力が入り
すぎました。
それでは、また。
までもなく、半島国家は常に戦争を引き起こす地理的要素を
はらんでいます。
60年と時間をくぎって世界を見渡した時、戦争を体験した
事がない国は実は両手の指の数よりも少ないのです。
日本もその稀有な国の一つである訳ですが、半島国家の
すぐ隣に位置するにもかかわらず、稀有な国であり続けた
理由は、日米同盟と朝鮮戦争であると風神は考えます。
常にスーパーパワーであり続けた米国との同盟。そして、
あまりにもドラスティックにすぎた朝鮮戦争の記憶。
恐らく、このBLOGを通じて風神の日記を見ている人達の
大半は朝鮮戦争の記憶と言われても、何を指すのかさっぱり
判らないと思いますが、いやもちろん風神もそんな歳では
ないんですがね。
1950年6月未明に始まった朝鮮戦争は、結局38度線を休戦
ラインに収まって現在に至っていますが、その戦線の推移を
追っていくと、正に参戦国例外なく死力を尽くした戦いで
あった事は間違いがありません。
10個師団をもって奇襲攻撃をかけた北朝鮮は開戦後わずか4日
でソウルを陥落。危機感を抱いたアメリカは翌月には地上軍を
投入するも、7月4日の鳥山の戦いにおいて惨敗します。
北朝鮮軍は大田を陥落させ、半島の南端、釜山にまで
せまるのです。
壊走する韓国軍、アメリカは国連旗を掲げて交戦するも、
7月29日には‘死守命令‘を出すほどに追いつめられます。
北朝鮮8月攻勢、韓国、首都釜山に移転。海兵旅団投入で
なんとか支える国連軍。
北朝鮮9月攻勢、北朝鮮第10師団、謎の沈黙に救われる。
運命の仁川上陸作戦が行われる9月15日に至るまでの3ヶ月弱、
国連軍が防戦一方であったのは間違いありません。
「5000対1の大博打」と呼ばれた、米軍仁川上陸。壊滅寸前
だった国連軍10万もこれで息を吹き返して北上、9月28日には
ついにソウルを奪還します。
38度線以北に北朝鮮軍を押し戻すことに成功した国連軍は
金日成に降伏を呼びかけるも黙殺され、10月2日をもって、
今度は北朝鮮領内に逆進攻。10月20日、首都、平壌を陥落させ、
北朝鮮の運命は正に風前の灯火となります。
が、10月25日。またしても事態は急展開します。有り得ない
と思われていた中華人民共和国の直接武力介入。アメリカが
予想もしなかった18万の大兵力をもって中共軍が半島に
なだれ込み、11月未明、国連軍、38度線以南へ総撤退。
12月31日、再びソウル陥落。事態は正に泥沼のような消耗戦
へと展開していきます。
1953年7月27日に休戦協定が結ばれるまで、結局この消耗戦
は続き、38度線付近では不必要な多くの血が流されることに
なったのです。
いかん、つい夢中になりすぎました。寝ますわー。まあ、
かなり、はしょりましたが、日本人の大半は朝鮮戦争の中身に
ついてほとんど知らされていないと思い、つい力が入り
すぎました。
それでは、また。