youtubeで興味深い映像が公開されていたので、UPしてみた。
1941年、当時の松岡外相がドイツのベルリンを訪問した時の記録ニュース映像です。

https://www.youtube.com/watch?v=UfpjLsMgAsw

https://www.youtube.com/watch?v=HmaGITat8-A


日本の外務大臣を熱狂的に迎えるドイツ市民たちが映し出されていますが、これは演技でしょうか。

そもそも、第一次世界大戦では日本とドイツは敵国同士でしたし、日本はドイツの青島要塞を強襲して奪い、戦後は国際連盟の裁定でドイツ南洋諸島を信託統治という形で自分のものにしています。

中華民国にも軍事顧問を派遣し、ドイツは鉄鉱石と引き換えに大量の武器を供給していました。まあ、三国同盟以後は控えましたが。

日本海軍が誇る伊号潜水艦も、その原型は第一次大戦の戦利品として手に入れたUボートを参考に開発されたものです。

第一次大戦後、航空機と戦艦と潜水艦を禁じられたドイツは、その技術を後世に残すために技術者は海外に、武器は輸出に回すしかありませんでした。

1930年代の日本の航空技術の大半はドイツからの供与だったのは確かです。川崎の液冷エンジンやクルップ砲などはその代表的なものでした。


ところで国連脱退の引き金になったとよく引用される松岡の演説ですが、実はこれは逆で、
彼の演説を聞いたイギリス代表のヘールシャムは当時、
「素晴らしい演説だった。私は外交生活を30年以上続けているが、君のような演説は初めて聞いた。これは詩だ。」

そう言っています。

蛇足ですが、この松岡演説の原文は戦後封印され、今でもほとんどネット上にはあがっていません。

これも一体何なのか。

松岡ほど、状況によってくるくると主張を変えた人はなかなかいませんが、それは逆に、主義主張に縛られず与えられた情報の中で、今何をすべきかを決めていっただけなのかもしれません。

まあ、なんにせよ、ゲッベルスの宣伝工作を割り引いても、当時のドイツが本気で日本を歓待していたのは確かなのかもしれません。

戦後、アーリア人至上主義として徹底封印されたナチズムですが、それでは日本は一体なんだったのか。まあ、映像の歓声や音楽は後付けのような気もしますが、面白い切り口ではあります。

それでは今夜はこのへんで。

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