今朝の産経新聞のスズキのニュースで、ちょっと気になった箇所があったので書いてみます。

マルチ・スズキ暴動から1週間、背景いまだ不明 インド
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120725/asi12072520480005-n2.htm

 停職処分を受けた従業員が班長からカースト制に基づく不可触民であることを示す発言を受けたとされる問題についても、班長と従業員は同じカーストの人だったため「理由にはならない」と話す。・・・・・・・・・引用

この部分です。

世間一般でカースト制は身分制度と思われがち、というか学校でそう習ったと思いますが、決してそうではありません。もしもカーストが単なる身分制度であるなら、今世紀に入るまでに無くなっていた事でしょう。
カーストは単なる身分制度ではなく、階層ごとに職業と密接につながっており、さらにヒンズー教とも相関関係があります。

更に、その階層は非常に複雑で、同じバイシャ(商人階級)の中でも、更に何十種類と分かれています。基本、靴屋の子に産まれれば一生、靴屋であり、枝分かれするには新たな職業の創設を待たねばなりません。

ところで記事に戻りますが、

班長と従業員は同じカーストの人だったため「理由にはならない」と話す。・・・・・・引用

これこそが理由であった可能性があります。

つまり、同じカースト(職業に就く)であるにもかかわらず、命令する側とされる側に分けたせいではないのかなと。

日本人の感覚では判りにくいかもしれませんが、インドの地方出身者には、まだ相当カーストの習性がしみついています。

そういう人たちの中には、日本人の感覚からは有り得ない反応を示す場合があるのです。

一例をあげましょう。あるよく働くシュードラ(奴隷)階級の男性を、ひいきして班をまとめる班長にし、給金を上げたとします。日本人の感覚からすれば、喜んでそれを受けるでしょう。ところが、逆に怒り出したとしたら?

今でこそ少なくなりましたが、こういう事が起こりうるのがインドなのです。普通の身分制度であるならば、奴隷は解放されたいと願うでしょう。しかし、カーストの奴隷身分というのは他人に身分を落とされた奴隷ではなく、神によって奴隷に落とされた前世の罪であるため、現世で罪を償わないと来世に上のカーストに生まれ変わる事ができなくなる、というのが基本的な考え方なのです。

ようするに現世で奴隷として苦労しないと駄目なんだと。

そして、同じカーストは決められた同じ職業にしか就くことはできません。本来ならば。

近年は地方出身者と都会の労働者が入り混じる状態が起こっていますので、昔ほどうるさくなくなってきているらしいのですが。

とは言え、スズキは日本企業の中でも、最も早くからインドに進出している企業ですから、判っている筈。

うーん、気が向いたら続報を書くかもしれません。


【OMAKE】
何か妙に心に残ったコラム紹介


「53歳妊娠」いいかげんにしてくれ
無責任に“勇気”をばらまくメディアとタレントたち
遥洋子
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120724/234822/?rank_n



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