いろいろ言われてますが、実はこのシリア情勢についてはwikiに特別ページが設けられてまして、リアルタイムで更新されています。
2011年シリア騒乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%A8%92%E4%B9%B1
日本語に訳されるのに若干のタイムラグはあるものの、新聞なんかでは見られない細かい事まで載っています。
この中で面白いのがサウジアラビアの立ち位置。
以下引用
サウジアラビア – 3月28日、アブドゥッラー国王はアル=アサド大統領との電話会談でシリア指導者としての彼の地位を支持することを表明し、暴動がシリアの正当な政府に対する陰謀であると主張した。シリアとサウジアラビアは数十年間にわたって緊張と対立の関係にあったが、サウジ国王のこの立場は両者の関係改善を示すものである
この、3月28日というのは2011年の事なので、今現在はと問われれば判りませんが、少なくとも、アメリカ偏重だったサウジが、ことシリア騒乱に関する限りは体制側であった事が判ります。
まあ、これ以上詳しく書きませんが、
興味のある方は、1度サイトをのぞいてみては如何でしょうか。
2011年シリア騒乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/2011%E5%B9%B4%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%A8%92%E4%B9%B1
日本語に訳されるのに若干のタイムラグはあるものの、新聞なんかでは見られない細かい事まで載っています。
この中で面白いのがサウジアラビアの立ち位置。
以下引用
サウジアラビア – 3月28日、アブドゥッラー国王はアル=アサド大統領との電話会談でシリア指導者としての彼の地位を支持することを表明し、暴動がシリアの正当な政府に対する陰謀であると主張した。シリアとサウジアラビアは数十年間にわたって緊張と対立の関係にあったが、サウジ国王のこの立場は両者の関係改善を示すものである
この、3月28日というのは2011年の事なので、今現在はと問われれば判りませんが、少なくとも、アメリカ偏重だったサウジが、ことシリア騒乱に関する限りは体制側であった事が判ります。
まあ、これ以上詳しく書きませんが、
興味のある方は、1度サイトをのぞいてみては如何でしょうか。
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