早朝、会社からです。

  コンバンワ、風神です。

 書こうと思ったんだけど、早朝会社から書くには
題名が重すぎる。

 けど、コレについて書こうと思った事は忘れたくないので、メモ。

 後で、追記編集します。

 さて、会社から帰って一段落ついたので書くことにします。

 まず、富野 由悠季という人物に関して、今さら私ごときが
うんちくをたれようとは思っていません。この、富野 由悠季
という名前で検索すれば行き着くことができるwiki人物紹介に
すさまじい勢いで書き足されている文章をみれば、
彼がどんな人間で、どういった経歴を持っているのか誰でも
知ることができるからです。

 ただ、今回は実は久しぶりに活字の本を買いまして、

 池田秀一(シャア・アズナブル)さんが珍しいことに、
本を出したんですね。

 「シャアへの鎮魂歌」 ?ワニブックス

 彼はマスコミへの露出が極端に少ない人でして、
まあ、みつけてちょっとびっくりして、購入して読みました。

 それは後で追々紹介します。

 富野 由悠季には私の世代は多かれ少なかれ影響を
受けてると思ってます。

 今から思えば笑えるのが、本当に当時

  人類は環境に適応して変化していく
     能力をもっている

 と思えたこと。中学・高校の頃でしたかね。

 まあ、彼の心の変遷を私なりに追いかけてみます。

  善悪二元論で支配されていたロボットアニメをやらされて

 その狭い限られた中でやりたい事をしたいが為にガンダムを
つくった富野 由悠季ですが、結局挫折するんですね。

 彼が目指したハインラインの「宇宙の戦士」

 リアリティーと人間ドラマをロボットアニメに持ち込んだ
のに結局世間には受け入れられませんでした。

「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、
 既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は
 人類の第2の故郷となり、・・・」

 で始まるガンダムが受け入れられなかった理由は、

 当時、ロボットアニメを毎週見る子どもがそんなにいなかった
事。今みたいに一家にテレビ2台とかなかったこと。

 つまりね。1〜2話とばすと

  話が判らなくなるんです

 今までのロボットアニメだと1話完結、多くても2〜3話で
悪者は退治できたのですっきりしてたんですが、

 いきなりアムロが砂漠を歩いてるシーンから始まったり
するとおもしろくないんですね。

 そんなもんです、当時は。

 ただねー、いろんな意味でそれがいい方向に作用した部分も
あります。

 後半打ち切られて、全52話の予定が43話に減らされたせいで
後半がすごい勢いで凝縮されたこと。

 結果的にはよかったんじゃないかと池田さんも言ってますね。

 それよりも実は私が言いたいのはね。

 Zガンダムは彼の壮大な自傷行為じゃなかったか?

 これがずっと、心にひっかかっていました。

 やりたい事をしたいと思って、一生懸命やって、結果的に
ガンダムは成功しました。

 ところがニュータイプという当時一大ムーブメントが
起こって、ガンダムのパンフレットに

 ガンダムは戦争アニメじゃありませんとか書かれる
始末。

 「幻魔大戦」で有名な平井和正でさえ、その著書の
アンケートの中で、

 今一番気になる人:富野 由悠季

 と書いたくらいです。

 違ーーーよ。俺はやりたいことをやっただけなんだよ

 続編の要請があったにもかかわらず、3年も放置して
結局、引き受けざる終えなくなって「Z」をやったものの

  お前ら馬鹿か?!たかがアニメにこんなに
     むきになるんじゃないよ

 なぜそう思えるかというとですね。実は彼自身が
言ってるんですね。詳細は忘れましたがガンダムエース誌上で

 たかがアニメにそんなに夢中になってたら
    カミーユみたいに最後、狂っちゃうよ


 テレビ版「Z」の最後、何故にあんな終わり方をしたのか。

 そういうメッセージだったんですよコレ

「違うよ、これはアニメなんだ。作り話なんですよ。だから
僕はたまにね、リアリティーを追及しつつも、空を飛びそうも
ないものを飛ばしたりするんです。観る側に、ああこれは
作り話なんだって、思い出してもらうためにね」

 その彼の思いはですね。それでも世間には伝わらなかった。

 だから「逆襲のシャア」なんですよ。

 あの映画、あれも自傷行為に近い。

 犠牲者になったのは、今度はシャアです。

 以下、「シャアへの鎮魂歌」からの引用

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でシャアは、
「お母さんを求めていた」って告白しちゃうんですが、
このセリフを最初に台本で読んだとき、正直、僕は思いました。

  シャアって、こんなに子供だったのか?

中略

 画面で活躍するシャアは、僕にとっては自分の分身なんですが
富野監督にとっては富野監督自身を映す鏡だったのかも
しれません。だから監督自身の「シャアはもっと女々しい男
だぞ!」「こんあ寝言を吐くヤツなんだぞ!」って気分が
入っていたのでしょう。      
 勝手な解釈ですが、この頃、富野監督は疲れていたのかしら?
って思ってます。         シャアへの鎮魂歌より

 
 いかん、書きすぎたのでそろそろ寝ます。1:30だよもう
睡眠時間5時間切

追記は、もし読みたい人があるなら追記します。おやすみなさい

 
 

 

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