Japanese aircraft carrier 追記2 スマン
追記あるかもー

綺麗に写ってますね。赤城です。

 恐らく昭和15〜16年ごろ、着艦訓練中かな?

 私だけかもしれませんが、赤城をみると

    宇宙戦艦大和を思い出します。

 と言いますのは、ガルマン・ガミラス帝国が使用していた

   デスラー三段空母

 これ実は元ネタは赤城なんですね。(ホントかよw

  写真は第二次改装が終わった昭和13年以降の最終型ですけど
昭和2年に完成した時は上・中・下段の3段に別れた飛行甲板を
持つ、世界に例をみない三段空母(実際には二段になった)
だったそうです。

 当時の回想から引用すると、
   発艦と着艦が同時に行える画期的な

 空母の筈だったのですが、建造途中にして既に
真ん中の甲板前方に取り付けた20センチ連装砲2基が邪魔で
  
  2段目は飛行甲板として使えない

 事が判り、途中で仕切りをして大部分を飛行機格納庫、
そして突き出している部分だけでも、無理矢理発艦用として
残したのですが、結局150mも取れないので
使えなかったようです。

 しかも上甲板は三段にしているせいで当然、一番短く、
やがて複葉機から単葉機になるに従って
飛行機の着艦可能必要速度が上がってしまうと、

 これも距離が足りなくなって使えなくなるというお粗末さ。

 これではいかんと、3年もかけて大改装した結果が写真の
赤城な訳です。

 20センチ連装砲に固執したあたりが、条約で無理矢理
巡洋戦艦から改造された、当時の事情を反映しているようで

 大艦巨砲主義の未練が見え隠れします。

 ただ個人的に言わせてもらうとすれば、

  見た目は就航当時の赤城が一番かっこいい

 いや、ホント。写真がないのが実に惜しい。手元にある
双葉社発行の超精密「3D CG」シリーズ空母 赤城をみると
就役当時の赤城には、男の夢とロマンの試行錯誤が見え隠れ
します。

 まあ、だいたいにして、1万トンを切る世界初の空母「鳳翔」
を建造した後にいきなり3万トン級空母を造ること自体、無謀
と思うのですが、やっつけ造ってしまったところに当時の日本の
造船技術力の高さが(ある意味スゴイ うかがわれます。

 まあ、こんな感じで。

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