コンバンワ、風神です。
よもやま話。
今更なんですが、「男たちの大和」をみました。ところで、
大戦末期に発令されたこの菊水作戦、所謂「大和の海上特攻」
が、本当に特攻に当たるのか?
こういった議論が今年に入ってなされたことがあります。
「沖縄における第2艦隊の作戦は特攻か否か?」
日本遺族会の方々の間で語られたこの議論の発端は、
そもそも、特攻の場合、戦死者は2階級特進し戦後は特攻慰霊碑に
名前が刻まれるのだけれど、第2艦隊の場合は
そのどちらも行われていない。
つまり、政府が公式には特攻と認めていない?!
形のうえではそういうことになっているんですね。
ところが、菊水作戦発動時の軍令部命令電報、以下に示します
GF(連合艦隊)電令作第六〇三号
「第一遊撃部隊ハ海上特攻トシテ八日黎明
沖縄ニ突入ヲ目途トシ急慮出撃準備ヲ完成スベシ」
慮の字だけ変換できなかったんで当て字wですが、はっきり
と特攻と言ってるわけです。
戦後世代からすれば、べつにどちらでもいいじゃないか、とか
いわれそうですが、当事者であった日本遺族会の方々に
してみれば、
第2艦隊以下6800名余の人間に対しての生殺与奪の命令で
あった訳ですし、逆に今になって冷静に議論できる問題で
あったのかもしれません。
実は、菊水作戦前に、大和以下残存艦艇を使って最期の囮作戦
をしよう、という案がありました。
あまり知られていないかもしれませんが、沖縄作戦中の敵
機動部隊を囮で北につりあげて五航戦(九州鹿屋基地以下)の
航空兵力で叩く、そういう構想だったらしいですが、それも
何故か立ち消えになっています。
恐らく、3月未明(いつかわすれた)、海軍軍令部総長の
及川古志郎が宮中に参内して、陛下に南西諸島方面の戦況を
報告した際、現在の状況を打破するために、航空機による特攻
を行う旨の奏上を行った時に陛下が言われた
「海軍ニハモウ艦ハナイノカ、海上部隊ハナイノカ」
この有名な一言が、作戦(というのもおこがましいが)を
急転回させたのではないかと、風神は思っています。
裏で動いていた和戦降伏派であった海軍大将米内光政と
近衛文麿が、この陛下の言葉を利用して特攻作戦を強行させ
無条件降伏の為の最期の一撃を海軍に与えた
これが風神の中での理解です。この件に関しては、また
折をみて詳しく書いてみてもいいなー。
と、・・少々表題からずれていましたね。まあ、私として
は、確かに燃料往復分確保していましたし、特攻ではなく
作戦だったのかもしれませんが、出撃していった人達の
心情はまぎれもなく特攻だったでしょう。
あんま、長くなるとあれなんで、GSの阿部さんのコメントを
まとめとして引用しておきます。
実質的には「殴り込み作戦」であり「囮作戦」でもあり場合によっては「上陸作戦」でもあるが海軍上層部としてあくまでも「海上特攻」なので海上特攻要員の人事処理を「航空特攻と同一の取り扱い」を要望し昭和20年7月30日の連合艦隊告示で「海上特攻」として布告している。
まあその後、2週間で8月15日を迎えたのだから要望のままでなし崩しになってしまった部分もあるのだろう。
いずれにしても亡くなられた多くの方に掌を合わせ冥福を祈りたい。 GS掲示板2006.2.17からの引用
合掌
それでは、今日はこのへんで。
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