無礼を承知でコピペした。見る度に、辿り着くのが難しく
なるくらい、奥底にしまわれているから。
コンバンワ、風神です。
以前、そうこの日記で言えば2003年3月1日。ちらっと書いたが
私は昔UOにどっぷりとつかっていたことがあった。
その頃はと言えば、NTTのテレほーだいとかいうサービスが
ネットの救いの神で、アナログの波の中、無理を承知で
モデムの笛の音を聞き、快適なゲーム環境を求めて音のない
世界を選択したりと、今から思えば額に汗してネットゲームに
チャレンジwしていた。
その頃、最も私に影響を与えたUO日記サイトが今やその
面影をなくし、その残骸さえも奥にしまいこまれて容易に
アクセスできない事を憂いて、無礼を承知でコピペしときます。
その当時、UOサーバはアメリカにしかなく、ラグを承知で
アメリカにつなぎながら、初めてのネットゲームに心ときめか
せていた頃。
まあね、その頃の殺伐とした世界を判れとは言わないけれど
でも、恐らくこのまま放置してたら塵と消えてしまうだろう事は
判っているのでここに無礼を承知で残しときます。
まあ、ないとは思うけど、もしも当事者がこの日記にアクセス
して許さんとかいうならコメントしといてください。消しますから
幽閉のGMスミス
今となってはGMスミス(鍛冶屋)はさして珍しくはないけれど、1997年〜1998年当時は、それはそれは珍しい存在だった。色つき鉱石もなく、Exceptionalなんていう品質の違いもなく、もはやキャラの性能云々ではなくてただ己の意地を貫くだけの長いつらい道だった。GM鍛冶屋は、その称号だけでみんなに感心され、尊敬された。
わたしのギルド Dark Empireにはお抱えのGM鍛冶屋が一人いた。名はセイン。プレイヤーは13歳のかわいい少年で、父のペリンと一緒にDEに入隊していた。前線で活躍するGreat Lordのペリンと非戦闘部隊のセイン親子は同じアカウントを共有しており、夕はセインが、夜はペリンが出てくるというタイムスケジュールを持っていた。わたしたちはこの親子二人をそれぞれ大事に思い、ゲーム内では本当に親しく付き合ってきた。とりわけ、GM鍛冶屋のセインはギルドメンバー全員に大切にされた。 日々の戦闘で消耗していく装備の修繕をおこなう確かな腕は、セインだけのものだったからだ。
セインは本当にこどもっぽくて、おちゃめで、年のせいか多感すぎるところもあったが誰からも愛された。DDH(当時のPKギルド)に父が殺されたとわんわん泣いて、1時間たっても泣き止まない。しまいにはDDHの連中がIRCに来て「セイン、パパを殺して悪かった。でも俺たちは正々堂々、納得づくで正義の味方と悪者ごっこをしているんだからお前もわかってくれなくちゃ」と彼をなぐさめるという珍事もあった。「ドラゴンランス戦記」の主人公にちなんで名づけられたギルドメイト、キャラモンの名前がいつまでたっても覚えられず「ねえキャロメン」「おはようキャロメン」と呼びかけては短気なキャラモンに叱られていた。
グランドマスターの腕前と、仲間からの絶対の信頼と友情を得たセイン。その代わり、セインはギルドマスターから「城から一歩も出てはいけない」という命令を受けていた。(注:これについては昔のUOについて のスキルの箇所を参照) むやみに外に出て、他人が雑多なスキルを使っているところに出くわせば、いつセインのGMは失われるとも知れない。スキルを守るため、セインは城の一番奥の部屋に押し込められ、1年以上もの間ずっとそこでメンバーの戦いを見守ってきた。
* * *閑話休題
「なんで?セインは別なキャラクターを作ればいいじゃん」と思った人も多いだろう。今でこそ複数のキャラクターを使い分け、複数のアカウントを一人で持つことすら当たり前になってきたMMORPGだが、昔は1アカウントはもちろんのこと、「ブリタニアでの自分」を一人一人定めて、そのキャラクターだけを大事に使っていることの方が普通だった。(だから、わたしたちはギルドマスターのマルが影で違うアカウントを使い、PKの一人として暴れまわっていたことを知ると、いっそうショックを受けて深く傷ついたのだ。仮面を付け替えるように二つのアカウントを使い分けるマルの姿を見て、わたしたちは「だまされた」としか思えなかった。マルがNoct-これが彼の"別名"だった-と同一人物であることを悟られまいと、仲間を使って方やマル、方やNoctのアカウントで同時ログインしてわたしたちの前にたびたび現れたことなどは、犯罪にも等しく思えたのだ。当時のUOプレイヤーはバカ正直で純粋で かわいそうなくらい傷つきやすい連中ばかりだった。自分も含めて。バカだった。信じて、裏切られて、泣いてばかりいた。でもそこが好きだった)
* * *
わたしはログアウトの前にはできるだけセインがいる城に戻るようにしていた。いつも奥の間でセインはじっと座って、PK達との戦局を伝えるIRCをじっと見ていた。セインは鍛冶のスキルしか持っていない。暇つぶしにデーモンを召喚して遊ぶことも、Hideのスキルを使ってかくれんぼをすることも許されない。他のスキルを使うと、たちまちGMスミスでなくなってしまう可能性があるからだ。唯一彼が外に出るための方法は、父ペリンのキャラクターを使うことだけだった。しかしセインは「ペリンはパパなんだ。だから僕じゃない、使えないよ」といって1-2度しかこの方法を試したことはなかった。
「おかえりエスト。今日はどうだったの?ベインたち(当時目立っていたPK集団)をやっつけたの?」
セインはとても知りたがりで、その日の勝敗と戦利品だけでなく、誰の腸が地面にばら撒かれたかと言うことまで知りたがった。(注:当時は死体ばらしは日常茶飯事。特にPKはダブルクリックで棺おけを出す手間を嫌い、獲物は殺したらすぐにばらして持ち物を直接 地面に出してしまう方法を良く使っていた)1年に及ぶ長い間、ずっと地下牢のような場所に押し込められたまま、感謝され続けた彼は、絶対に「外に行きたい」と駄々をこねることはなかった。
でも ギルドが崩壊したその日、セインは城を飛び出した。ギルドのタグが外れてしまったその日、次々IRCのギルドチャンネルからメンバーが去り始めたその時に、セインは扉を開けて、制服も脱ぎ捨てて、修理のために預かっていた剣を持って泣きながら森に入っていった。わたしたちは自分が受けたショックの処理に精一杯で、セインに気づかなかった。気づいても、すぐにとめることはできなかった。
ようやく気持ちが落着いて、 他人のことにかまう余裕ができたとき、わたしたちはすぐに彼を探さなければと思い立った。でも遅かった。セインはオーガとトロールに囲まれ、殺されて、その場で復活し、灰色のローブを身にまとって呆然と野原に立っていた。殺されたのは1度や2度ではなかったらしく、同じローブが何枚か地面に落ちていた。
「みんなのためにがんばってきたのに!みんなのためにがまんしたのに!ひどいよ!」
失ってしまったのは、グランドマスタースミスの称号じゃない。ステータスでもない。たった一つの自分の居場所、それをなくしてセインはわんわん泣いた。「ごめんね」というのが精一杯だった。彼はまだたったの13歳だった。大の大人ですら本気で泣いたり、怒ったりした世界だったというのに、セインはどのぐらい傷ついてしまったんだろう。彼はリアルで今、どうしているんだろうか。泣いていないといいな。大人になって、ブリタニアのこと忘れてしまっているといいな。もしまた会えたら、わたしのこと、みんなのこと、許してくれるだろうか。
By Aethereal
今、世にあるMMORの大半はPK(プレイヤーキラー)に対して
過剰なまでに制約を課しているけど、当時のUOではプレイヤー
は殺されると文字通り全てを失ったものでした。
持っている装備、お金。そしてスキルレベルの減少という今
から考えてみれば信じられないくらいのものを失い、傷つき
ショックを受けました。だから仲間同士の連帯は自然、
当たり前のように強固でしたし、それ故、一定のしばりの中で
PKもある種の崇拝の念を受けてました。
また機会があれば、当時の事等、書いてみたいと思います。
それでは又。
なるくらい、奥底にしまわれているから。
コンバンワ、風神です。
以前、そうこの日記で言えば2003年3月1日。ちらっと書いたが
私は昔UOにどっぷりとつかっていたことがあった。
その頃はと言えば、NTTのテレほーだいとかいうサービスが
ネットの救いの神で、アナログの波の中、無理を承知で
モデムの笛の音を聞き、快適なゲーム環境を求めて音のない
世界を選択したりと、今から思えば額に汗してネットゲームに
チャレンジwしていた。
その頃、最も私に影響を与えたUO日記サイトが今やその
面影をなくし、その残骸さえも奥にしまいこまれて容易に
アクセスできない事を憂いて、無礼を承知でコピペしときます。
その当時、UOサーバはアメリカにしかなく、ラグを承知で
アメリカにつなぎながら、初めてのネットゲームに心ときめか
せていた頃。
まあね、その頃の殺伐とした世界を判れとは言わないけれど
でも、恐らくこのまま放置してたら塵と消えてしまうだろう事は
判っているのでここに無礼を承知で残しときます。
まあ、ないとは思うけど、もしも当事者がこの日記にアクセス
して許さんとかいうならコメントしといてください。消しますから
幽閉のGMスミス
今となってはGMスミス(鍛冶屋)はさして珍しくはないけれど、1997年〜1998年当時は、それはそれは珍しい存在だった。色つき鉱石もなく、Exceptionalなんていう品質の違いもなく、もはやキャラの性能云々ではなくてただ己の意地を貫くだけの長いつらい道だった。GM鍛冶屋は、その称号だけでみんなに感心され、尊敬された。
わたしのギルド Dark Empireにはお抱えのGM鍛冶屋が一人いた。名はセイン。プレイヤーは13歳のかわいい少年で、父のペリンと一緒にDEに入隊していた。前線で活躍するGreat Lordのペリンと非戦闘部隊のセイン親子は同じアカウントを共有しており、夕はセインが、夜はペリンが出てくるというタイムスケジュールを持っていた。わたしたちはこの親子二人をそれぞれ大事に思い、ゲーム内では本当に親しく付き合ってきた。とりわけ、GM鍛冶屋のセインはギルドメンバー全員に大切にされた。 日々の戦闘で消耗していく装備の修繕をおこなう確かな腕は、セインだけのものだったからだ。
セインは本当にこどもっぽくて、おちゃめで、年のせいか多感すぎるところもあったが誰からも愛された。DDH(当時のPKギルド)に父が殺されたとわんわん泣いて、1時間たっても泣き止まない。しまいにはDDHの連中がIRCに来て「セイン、パパを殺して悪かった。でも俺たちは正々堂々、納得づくで正義の味方と悪者ごっこをしているんだからお前もわかってくれなくちゃ」と彼をなぐさめるという珍事もあった。「ドラゴンランス戦記」の主人公にちなんで名づけられたギルドメイト、キャラモンの名前がいつまでたっても覚えられず「ねえキャロメン」「おはようキャロメン」と呼びかけては短気なキャラモンに叱られていた。
グランドマスターの腕前と、仲間からの絶対の信頼と友情を得たセイン。その代わり、セインはギルドマスターから「城から一歩も出てはいけない」という命令を受けていた。(注:これについては昔のUOについて のスキルの箇所を参照) むやみに外に出て、他人が雑多なスキルを使っているところに出くわせば、いつセインのGMは失われるとも知れない。スキルを守るため、セインは城の一番奥の部屋に押し込められ、1年以上もの間ずっとそこでメンバーの戦いを見守ってきた。
* * *閑話休題
「なんで?セインは別なキャラクターを作ればいいじゃん」と思った人も多いだろう。今でこそ複数のキャラクターを使い分け、複数のアカウントを一人で持つことすら当たり前になってきたMMORPGだが、昔は1アカウントはもちろんのこと、「ブリタニアでの自分」を一人一人定めて、そのキャラクターだけを大事に使っていることの方が普通だった。(だから、わたしたちはギルドマスターのマルが影で違うアカウントを使い、PKの一人として暴れまわっていたことを知ると、いっそうショックを受けて深く傷ついたのだ。仮面を付け替えるように二つのアカウントを使い分けるマルの姿を見て、わたしたちは「だまされた」としか思えなかった。マルがNoct-これが彼の"別名"だった-と同一人物であることを悟られまいと、仲間を使って方やマル、方やNoctのアカウントで同時ログインしてわたしたちの前にたびたび現れたことなどは、犯罪にも等しく思えたのだ。当時のUOプレイヤーはバカ正直で純粋で かわいそうなくらい傷つきやすい連中ばかりだった。自分も含めて。バカだった。信じて、裏切られて、泣いてばかりいた。でもそこが好きだった)
* * *
わたしはログアウトの前にはできるだけセインがいる城に戻るようにしていた。いつも奥の間でセインはじっと座って、PK達との戦局を伝えるIRCをじっと見ていた。セインは鍛冶のスキルしか持っていない。暇つぶしにデーモンを召喚して遊ぶことも、Hideのスキルを使ってかくれんぼをすることも許されない。他のスキルを使うと、たちまちGMスミスでなくなってしまう可能性があるからだ。唯一彼が外に出るための方法は、父ペリンのキャラクターを使うことだけだった。しかしセインは「ペリンはパパなんだ。だから僕じゃない、使えないよ」といって1-2度しかこの方法を試したことはなかった。
「おかえりエスト。今日はどうだったの?ベインたち(当時目立っていたPK集団)をやっつけたの?」
セインはとても知りたがりで、その日の勝敗と戦利品だけでなく、誰の腸が地面にばら撒かれたかと言うことまで知りたがった。(注:当時は死体ばらしは日常茶飯事。特にPKはダブルクリックで棺おけを出す手間を嫌い、獲物は殺したらすぐにばらして持ち物を直接 地面に出してしまう方法を良く使っていた)1年に及ぶ長い間、ずっと地下牢のような場所に押し込められたまま、感謝され続けた彼は、絶対に「外に行きたい」と駄々をこねることはなかった。
でも ギルドが崩壊したその日、セインは城を飛び出した。ギルドのタグが外れてしまったその日、次々IRCのギルドチャンネルからメンバーが去り始めたその時に、セインは扉を開けて、制服も脱ぎ捨てて、修理のために預かっていた剣を持って泣きながら森に入っていった。わたしたちは自分が受けたショックの処理に精一杯で、セインに気づかなかった。気づいても、すぐにとめることはできなかった。
ようやく気持ちが落着いて、 他人のことにかまう余裕ができたとき、わたしたちはすぐに彼を探さなければと思い立った。でも遅かった。セインはオーガとトロールに囲まれ、殺されて、その場で復活し、灰色のローブを身にまとって呆然と野原に立っていた。殺されたのは1度や2度ではなかったらしく、同じローブが何枚か地面に落ちていた。
「みんなのためにがんばってきたのに!みんなのためにがまんしたのに!ひどいよ!」
失ってしまったのは、グランドマスタースミスの称号じゃない。ステータスでもない。たった一つの自分の居場所、それをなくしてセインはわんわん泣いた。「ごめんね」というのが精一杯だった。彼はまだたったの13歳だった。大の大人ですら本気で泣いたり、怒ったりした世界だったというのに、セインはどのぐらい傷ついてしまったんだろう。彼はリアルで今、どうしているんだろうか。泣いていないといいな。大人になって、ブリタニアのこと忘れてしまっているといいな。もしまた会えたら、わたしのこと、みんなのこと、許してくれるだろうか。
By Aethereal
今、世にあるMMORの大半はPK(プレイヤーキラー)に対して
過剰なまでに制約を課しているけど、当時のUOではプレイヤー
は殺されると文字通り全てを失ったものでした。
持っている装備、お金。そしてスキルレベルの減少という今
から考えてみれば信じられないくらいのものを失い、傷つき
ショックを受けました。だから仲間同士の連帯は自然、
当たり前のように強固でしたし、それ故、一定のしばりの中で
PKもある種の崇拝の念を受けてました。
また機会があれば、当時の事等、書いてみたいと思います。
それでは又。
コメント
以前、大阪プチオフで昔のUO話で盛り上がったことがある。