雪風という名を聞くたびに
2003年8月9日 心の中がざわざわします。最近、巷では
「戦闘妖精雪風」がSF賞とったりDVD化
されたりしましたが、私のいう「雪風」とは
かつて連合艦隊に所属していた駆逐艦の名前
です。
陽炎型駆逐艦、八番艦「雪風」
初めてこの名前を知ったのは、かつて光栄が
出していた「提督の決断」というゲームから
です。このゲーム、マウス対応もなく、コマンド
入力全てkeyボードからという、今なら考えられ
ない仕様でしたが、当時の光栄ゲームは信長も
三国志もみんなそうでした
光栄ゲームをするとスペースkeyが磨耗するw
と陰口をたたかれた所以です。
さて「雪風」ですが、当時の提督の決断に
登場する艦船には、全て「運」という能力値が
設定されていました。当然、戦う機会もなく
沈められてしまった「信濃」や「大鳳」などの
運の数値は低く、終戦まで生き残る事ができた
「長門」などは90台後半の値を持っていました。
「雪風」はと申しますと、なんと99もあった
んです。最高100のうち99ですから、連合艦隊
で一番高い数字でした。
「雪風」昭和15年1月に佐世保海軍工廠で
陽炎型駆逐艦の8番目として産声をあげていま
す。同型艦は19隻。
以下、簡単に第2次大戦における「雪風」の
軌跡を追っていってみましょう。
1941年12月 フィリピン攻略作戦に参加。
1942年 蘭領インドネシア攻略作戦参加。
2月 スラバヤ沖海戦参加。
ジャワ島、及びニューギニア攻略
作戦参加。
6月 ミッドウエー作戦参加
ミッドウエー攻略輸送船護衛任務
につくも、主力機動部隊壊滅に
つき、反転撤退。
10月 南太平洋海戦に参加。
11月 第3次ソロモン海戦参加。
ガダルカナル撤収作戦、3度全て
に参加。
1943年 3月 ビスマルク海戦ニューギニア輸送
ダンピールの悲劇、駆逐艦4隻
輸送船7隻を沈められるも、雪風
は1個大隊の輸送に成功する。
7月 コロンバンガラ沖夜戦
米軽巡3隻大破駆逐艦1隻撃沈
1200名の輸送に成功
1944年 6月 マリアナ沖海戦参加。
途中機関故障の為、タンカー護衛
任務につき内地帰還
1944年10月 レイテ・サマール沖海戦参加
栗田艦隊にて長門・武蔵等の護衛
任務につく。
1944年11月 大和型3番艦「信濃」護衛任務。
信濃沈没
1945年 4月 菊水一号作戦発動
沖縄特攻大和護衛任務
坊ノ岬沖海戦参加 大和沈没
1945年 8月 終戦
1945年10月〜特別輸送艦に選定され復員輸送
任務に就く
1947年 7月 戦後賠償艦として中華民国(台湾)
に引き渡される。
1966年 除籍解体
開戦から常に最前線に立ち続け、駆逐艦で
ありながら、昭和22年5月には連合国側から
「最優秀艦」と称揚された所以です。私に言わ
せれば光栄がつけた運99などはもってのほかw
で200でも300でもいいと思います。
他にも驚くべき事は、開戦から終戦にいたる
までの「雪風」乗員の亡くなられた数なんで
すが、なんと8人。
ちなみに「雪風」の乗り組み人数は230人程
でしたから、いかにこの艦が神がかって(と言
ってもいいでしょう)いたかがわかります。
陽炎型19隻のうち、終戦まで生き残った艦は
「雪風」ただ1隻でした。
1971年12月8日 台湾海軍によって送られた
「雪風」の舵輪と錨が「雪風保存準備会」の手
を経て海上自衛隊に送られました。江田島教育
参考館にて現在も展示されているそうです。
ちなみに1956年7月、海上自衛隊初の護衛艦
として竣工した「はるかぜ級」の2隻のうちの
1隻に「ゆきかぜ」の名前がつけられました。
1時間も書いてしまった^^;
今日はこのへんで m(_ _)m
「戦闘妖精雪風」がSF賞とったりDVD化
されたりしましたが、私のいう「雪風」とは
かつて連合艦隊に所属していた駆逐艦の名前
です。
陽炎型駆逐艦、八番艦「雪風」
初めてこの名前を知ったのは、かつて光栄が
出していた「提督の決断」というゲームから
です。このゲーム、マウス対応もなく、コマンド
入力全てkeyボードからという、今なら考えられ
ない仕様でしたが、当時の光栄ゲームは信長も
三国志もみんなそうでした
光栄ゲームをするとスペースkeyが磨耗するw
と陰口をたたかれた所以です。
さて「雪風」ですが、当時の提督の決断に
登場する艦船には、全て「運」という能力値が
設定されていました。当然、戦う機会もなく
沈められてしまった「信濃」や「大鳳」などの
運の数値は低く、終戦まで生き残る事ができた
「長門」などは90台後半の値を持っていました。
「雪風」はと申しますと、なんと99もあった
んです。最高100のうち99ですから、連合艦隊
で一番高い数字でした。
「雪風」昭和15年1月に佐世保海軍工廠で
陽炎型駆逐艦の8番目として産声をあげていま
す。同型艦は19隻。
以下、簡単に第2次大戦における「雪風」の
軌跡を追っていってみましょう。
1941年12月 フィリピン攻略作戦に参加。
1942年 蘭領インドネシア攻略作戦参加。
2月 スラバヤ沖海戦参加。
ジャワ島、及びニューギニア攻略
作戦参加。
6月 ミッドウエー作戦参加
ミッドウエー攻略輸送船護衛任務
につくも、主力機動部隊壊滅に
つき、反転撤退。
10月 南太平洋海戦に参加。
11月 第3次ソロモン海戦参加。
ガダルカナル撤収作戦、3度全て
に参加。
1943年 3月 ビスマルク海戦ニューギニア輸送
ダンピールの悲劇、駆逐艦4隻
輸送船7隻を沈められるも、雪風
は1個大隊の輸送に成功する。
7月 コロンバンガラ沖夜戦
米軽巡3隻大破駆逐艦1隻撃沈
1200名の輸送に成功
1944年 6月 マリアナ沖海戦参加。
途中機関故障の為、タンカー護衛
任務につき内地帰還
1944年10月 レイテ・サマール沖海戦参加
栗田艦隊にて長門・武蔵等の護衛
任務につく。
1944年11月 大和型3番艦「信濃」護衛任務。
信濃沈没
1945年 4月 菊水一号作戦発動
沖縄特攻大和護衛任務
坊ノ岬沖海戦参加 大和沈没
1945年 8月 終戦
1945年10月〜特別輸送艦に選定され復員輸送
任務に就く
1947年 7月 戦後賠償艦として中華民国(台湾)
に引き渡される。
1966年 除籍解体
開戦から常に最前線に立ち続け、駆逐艦で
ありながら、昭和22年5月には連合国側から
「最優秀艦」と称揚された所以です。私に言わ
せれば光栄がつけた運99などはもってのほかw
で200でも300でもいいと思います。
他にも驚くべき事は、開戦から終戦にいたる
までの「雪風」乗員の亡くなられた数なんで
すが、なんと8人。
ちなみに「雪風」の乗り組み人数は230人程
でしたから、いかにこの艦が神がかって(と言
ってもいいでしょう)いたかがわかります。
陽炎型19隻のうち、終戦まで生き残った艦は
「雪風」ただ1隻でした。
1971年12月8日 台湾海軍によって送られた
「雪風」の舵輪と錨が「雪風保存準備会」の手
を経て海上自衛隊に送られました。江田島教育
参考館にて現在も展示されているそうです。
ちなみに1956年7月、海上自衛隊初の護衛艦
として竣工した「はるかぜ級」の2隻のうちの
1隻に「ゆきかぜ」の名前がつけられました。
1時間も書いてしまった^^;
今日はこのへんで m(_ _)m
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